かさぶた


ここの所、少しだけ悩んでいることがある。
それはついかさぶたを剥がしてしまうのに似ている。ふとした拍子に黒歴史を引っ張りだして、悲鳴をあげてみたりするのにも似ている。
なんて書きながら飛び出てきた私の黒歴史その1は、小学2年生のとき「バレンタインにチョコレートを送る文化は日本にしかないらしい」的な日記が担任の気に入り、朝礼で朗読させられたことだ。恥ずかしい。生意気である。すでに根付いている文化風習にはそれなりの価値があると思うし、そこを検討せずに大人から聞きかじったその由来だけを持ちだしてみるなんて本当に恥ずかしいことをしたものだ…と思うけれど、
まあ今となっては小学2年生なので仕方ないか、とも思えるので、そろそろ効力がきれてきたのかもしれない。
ともかく、悩みというものはかさぶたや黒歴史と同じく、面倒だけれど、少しくらいならむしろ生きてる実感を与えてくれるものかもしれなくて、だから忘れたいなんていうのとも違うのだけど、
ただ、この悩みのことが、私は自分でもよくわからないのだ。
身近な友人に相談しようとしたのだが、ぼかしすぎたせいか首をかしげて反応に困ったような顔をしていた。ので、これは説明が難しいぞと思い、今では文鎮のごとく机上に転がしたままでいる。
それは、死角みたいな話なのだ。
それまで見えないことすら気づいていなかったのに、そこに見えていない1角があることに気づいたら最後、途端に気になりだしてしまう。
けれど暗くて、目をこらすのによく見えない。そのうち、どうしてもそこを見たいのか、それとも死角があること自体が気になるのでこちらの立ち位置を変えたいのか、よくわからなくなってきた、というような。
何だかよくわからなくて気持ちが悪い文章だけれど、いつかこれを読み返す頃には、他の方法で生きてる実感を得られているといいなと思う。黒歴史のストックならまだまだある。