眠りについて、3つ

その1

帰りの電車で座席に座るのは危険だ。
特にこの季節は、足元の暖房と電車の揺れに懐柔され、少しだけ…と目を閉じればほんの2、3秒で眠りにつかまってしまう。その瞬間はどことなく、湯に落とした角砂糖が崩れる様に似ている。誘惑に抗えない感覚が、気持ち良いからだろうか。
電車に乗っているときの眠りとは不思議なもので、なぜか最寄駅に着く寸前、もしくはついた瞬間に目が覚める。
人の乗り降りする気配はどの駅にも共通することだし、車内アナウンスで駅名が連呼されるわけでもない。それなのに、ちゃんと最寄駅で目が覚めるのは、おそらく何らかのシステム(視覚以外のなにか)がバックグラウンド再生されているからなのだろう。
そして、このタイプのこの目覚めには、強制終了からの再起動を行ったかのような、ジェットコースターの最高地点から落ちる瞬間のような、とにかく人体バッテリーの寿命を確実に縮めそうなドキドキ感がある。
もちろん、寝過ごすことが恐ろしいのではない。バッテリーが発熱した状態でめちゃくちゃ重いデータを開く瞬間のスリルにドキドキしているのだ。
だから、冬の帰り道に座るのは危険だ。座るのならば、ジェットコースターに乗りこむつもりで、カバンを抱えて、安全な体勢を心がけなくてはならない。

その2

最近のこだわりは目覚ましを2段階にかけることだ。
1つめを起きたい時間の30分前にかけ、2つめを本来起きたい時間にかける。どちらも隣の部屋に置いているテレビのアラームなので、布団から出て止めにいかないといけない。
つまり私は毎朝一度、本来起きたい時間の30分前に目覚ましに起こされ、布団からでて隣の部屋に行っているのだ。
確かに面倒だ。
けれど、想像してみて欲しい。起きたけど「あと30分眠れる」と思うとすごくお得な感じがしないだろうか。私はする。早起きが三文の徳というのは本来これのことを言うのじゃないかなと思う。
布団からでて目覚ましを消し、電気をつけてもう一度布団にはいる。私にはあと30分眠れる権利がある……。なんて権利を堪能しているうちに次の目覚ましが鳴るのだけれど、二度寝をしたことでなんだか満足感もあるし、一度起きた時に部屋を明るくしておくことで、起きるのが少し楽になるような気がするし、今の季節なら起きたときに暖房をつけておけば活動もしやすい。
私はこれを、1石3、4鳥くらいの効果はある生活の知恵だと思っている。何事も自己満足が大事なのだ。

その3

時折やけに印象的な夢をみる。
先日は高速のサービスエリアで友だちと買い物をしていて、その中の1人がサボテンの鉢植えを持ってきている夢だった。なかなか大きい、直径20cmくらいの鉢に高さ30cmくらいの白っぽいサボテンが植えられている。
友だちは家をあけるから心配で持ってきた、と言っていて、皆で「結構心配性だよね」みたいな話をしていた。
その前後のことはあまり思い出せないのだけど、私にはその場面を確かに見た実感があり、現実だって何年も経てば、その夢の記憶と同じくらいの容量になっているような気がした。
そうなってくると、夢の記憶と現実の記憶にどの程度の差があるのだろう?
現実の体験をストックしておくことで、そこから面白い夢が生成される仕組みなのだとしたら、どんどん知らないものを見聞きした方が、睡眠中も楽しくていいなと思ったりする。