推しが日本ダービー勝ってくれたら死ぬ


近頃は自炊にも飽きてきており、毎日がトイレットペーパーの芯みたいに手応えがない。こういうとき、気分転換にちょっと外で飲むか〜、というのができないのも悲しい。人と会ってご飯を食べる機会が減った分、この1年は家でちょっといいビールを飲むことにはまっており、なので家飲みは日常と化し、気分転換にならないのだった。

そんな私の心の隙間に入り込んだのがウマ娘でした。「ウマ娘 プリティーダービー」です。

ウマ娘 プリティーダービー」とは、簡単に説明すると、実際の競走馬をもとに擬人化された(牡馬・牝馬どちらも「娘」に統一されている)キャラクターを育成するゲームです。プレイヤーはトレーナーという役割になっているため、一応育成と書きましたが、育成というのもおこがましい、横で応援させていただいている、という感じです。

最初は「話題だしちょっとやってみるか〜」という動機だったんですけど、やればやるほど、これにもあれにもそれにもちゃんと元ネタがあるということに感動し、気づけばウィキペディアを読みあさってしまう日々。これはウマ始めた人の通る道だと思うんだけど、そこにちゃんと求めるものがあるのが競走馬のウィキペディアの凄さ。読み応えのある記事が多い(ありがたい)。
最初にゴールドシップのシナリオやって、ウォッカをやって、そのライバル、ダイワスカーレットをやって、徐々に物語が立体的になっていくのを感じる。

そして「ウイニングチケット」です。
ダービーに憧れ「タービーウマ娘になりたい」と語るチケットを見て、私は「ウマ娘 プリティーダービー」でレース後にウマ娘たちがライブを行う理由を理解しました。
ダービーはつまり武道館。
多くのアイドル(≒ウマ娘)の目標であり、それが通過点になるか到達点になるかはわからないけれど、そこに立った(勝った)ということが歴史に残る場所。それこそが日本ダービーなんですね。その過程を近くで応援できるなんて、最高の役得じゃないですか…。ありがとうチケゾー、私と一緒にダービーを目指そう!!

そうしてチケゾーと1年のトレーニングを経て、いざダービーに出走、辛くも勝利をおさめた瞬間、沸き起こったのはまさかのチケゾーコール。これは主人公(トレーナー)とウマ娘だけの物語ではなかったんです。この世界にも、これまでチケゾーを信じて応援してきたファンがいたんだということを知り、ドセンでチケゾーおめでとうパネルを持ってむせびなくオタクの姿が見えた気がしました。
あまりに高まりすぎて、なんでチケゾーシナリオはダービーがラストじゃないんだろうとすら思いました。

(その後、やり込んでいくうちに全てのシナリオは同じ3年間のスケジュールで構成されているということ、3年目にダービーはないということを理解しました。というか「皐月賞日本ダービー菊花賞」の3冠は3歳時しか出れないってほんと特別なレースだし、それを分け合ったBNW尊い

そしてウィキペディアを読みました。
チケゾーコールや、チケットの「日本ダービーを獲ったウイニングチケットです!」というスピーチの元ネタ、チケゾーのシナリオのクライマックスがダービーにある理由。友人として描かれるBNWこと、ナリタタイシンビワハヤヒデとの関係。
現実じゃん、と思いました。
そして、この物語を、このゲームはこのようなシナリオに仕上げて見せてくれたのか、ということを理解し、制作者の愛を感じました。
これは競馬オタクによる、競馬のエモさのプレゼンであり、そのプレゼンはしっかり私の胸にも届いたのでした。

もちろんモデルとなった競走馬自身がどう感じているかなんてわかりません。
やる前は、物言わぬ対象を擬人化することにちょっと抵抗もあったんですが、
しかし、その後、BNW周りの記事や、オグリキャップについてのドキュメント本(「銀の夢」)を読んであちこちに元ネタを見つけていくうちに、このゲームは「競走馬」そのものを擬人化しているというより、「競走馬の物語」を擬人化したものに近いと感じるようになりました。先述のチケゾーコールのように、その競走馬だけでなく、周囲にいた人々の思いをうまくその物語に編み込んでいるイメージ。
メインストーリーで「ダービーをとれなかったトレーナー」として主人公に連絡してくる先代トレーナーのこのセリフの元ネタも、おそらくチケットによって悲願のダービージョッキーとなった、チケゾーコールの元ネタでもある柴田騎手の言葉でしょう。


(記事はチケットシナリオ攻略後にすぐ買ったNumber(ナンバー)978号より。今もチケットに会いに来るファンの話が出てきてここでも泣きます。長生きしてほしい。)

ゲームの中ではないことになってますが、自分にとっての競馬はこれまで「賭け事」というイメージでした。まあそれが正しいと思います。
けれど同時に、最後の有馬でオグリキャップ単勝を買った人の思いは「賭け事」だけではないことも今ならわかる。
なので今は私も「デビュー時から応援してたんだ~」といえるような馬をみつけてみたいなと思ったりしています。
なんかもうすでに複勝ではなく単勝を買い続けることでネイチャへの愛を示した経験がある気がしちゃうもんね。そんなファンの思いがあのトロフィーに込められてるわけでしょ?? ファン心理を理解しすぎていて泣きどころが多い。

ゲームとしては、サポートカードを強くしないと強くできないのはわかってるんですが個人的にはとにかく新規シナリオ(育成ウマ娘)を読みたいので、悩ましいところです。

この本もめちゃくちゃ良かった。
オグリキャップとそのライバルたち、そしてその周囲の人々への膨大なインタビューによって、構成されており、みんな応援したくなる。そして、最後には冒頭の有馬記念の場面を読み返してしまう本でした。

悪夢と「アメリカン・ユートピア」

先日、妹と「よく見る悪夢」の話をした。
妹は「本番前なのにまだ台本を読んでいない」悪夢をよく見ると言っていて、彼女は学生時代は演劇部だったし、当時の思い出が影響してるのかもしれない。

私のよく見る悪夢ベスト3は、おそらく「遅刻する夢」「冷蔵庫に入れておいたものを食べられてしまう夢」「家にきた見知らぬ人が帰ってくれない夢」だ。
「遅刻」については、学生時代遅刻ばかりしていたことが原因だろう。一方、皆勤賞を取りかけたこともあるという(えらい)妹は遅刻する夢をみないという。
「冷蔵庫」については、実家にいた頃、「楽しみにとっておいた食べ物」を父親に食べられてしまうという事件が約半年に1回程度は発生していたのが原因だ。それは妹も覚えていて、(半年に1回程度とはいえ)相当な恨みとして蓄積されているんだねえ、なんて話をした。

そのように、夢(特に悪夢)というのは、過去に恐れていたこと、常々嫌だと思っていることが形を変えて繰り返し再生されるパターンが多いように思う。

そして「家にきた見知らぬ人が帰ってくれない夢」だ。
これはおそらく一人暮らしをするようになってから見るようになった夢で、いろいろなパターンがあるものの「帰宅したら家に見知らぬ人がいて、なかなか帰ってくれなくて非常に困る」というのが基本的なあらすじだ。
実際にそういう体験をしたことがあるわけではないのに、早く帰ってほしい、早く1人になりたい、もうこの家を出るしかないんだろうか、と焦って目が覚める。

「なんでそんな夢みるの?」と妹は言った。
それは多分、私がそういう人間だからだと思う。

そして「アメリカン・ユートピア」をみた。
デヴィッド・バーン(元トーキング・ヘッズ)のアルバム「アメリカン・ユートピア」を原案に作られたショー(2019年秋スタート)を、スパイク・リーが映像化した作品で、
(とても面白かったので、まだの方にはぜひにとおすすめしたい)
曲と演出と合間のトークとがすべて1本のプレゼンになっているようなところがわくわくしたし、自分にとってはカート・ヴォネガットの小説を読んでいる時の心地を思い出すところが多々あった。

ショーの中盤、「everybody's coming to my house」について、

先日、この曲がハイスクールの合唱部によって歌われる機会があった。この曲は「everybody's coming to my house」と言いながらも、本当は早く帰ってほしいと思っている、そういう部分が出てしまう。私はそういう人間だから。しかしその合唱バージョンは違った。皆を歓迎している雰囲気があって、私もそっちがいい!と思った。しかしながら私はこういう人間なので…

というように話す場面があった。記憶で書いてるのでニュアンスが異なるところもあると思うのだけど「そっちがいい!」と「私はそういう人間だから」というところは強く印象に残っている。

「everybody's coming to my house」は移民についての歌であり、つまりhouseは何か、このショーの意図するところは何か、というのは明瞭である。最初からデヴィッド・バーンは「移民がいなくては成り立たない」と語り、バンドも多国籍な素晴らしいメンバーで構成されているし、彼自身現在もイギリスとアメリカの二重国籍である。そういったメッセージを伝えることと、
しかしながらごく個人的な部分で、自分は早く帰ってほしいと思うタイプの人間であるということが同居できているというところを、私はとても好ましく、心強く思いながらみた。

人が出て行ってくれないという悪夢をしばしばみる私も、人が嫌いなわけではないのだ。
好きな人は好きだし、一人も好きだし、ポテトチップスの袋を眺めているのも好きだ。
誰であれ人は理不尽な差別をされるべきではないと考えているし、別々の場所で眠りたい相手を好きという状態もある。

「Every day is miracle」の歌詞も気に入った。
繰り返しの「毎日は奇跡、毎日は未払いの請求書、夕食のために歌わなくちゃ、互いに愛し合おう」というところ。
毎日を未払いの請求書のように感じているのも正直な気持ちだし、同時に奇跡的なものとして大切にも思っている。それでも月曜の朝はだるい。しかし今日が来たことは嬉しく思っている。
反対のようなものが、実は共存して寄り添っている。このショーの冒頭で示される脳のように。

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1年

引っ越してから、よく地図を見るようになった。ここ数年は駅を中心とした生活をしていたけれど、今回は長く住むつもりでいるし、ここを自分の地元にするつもりで、気になる場所をブックマークしては、散歩がてら訪れてみたりする。土地勘と愛着は比例しないこともあるけれど、幸いこの町は今のところ、知るほどに居心地が良い。

少し前の話だけれど、3月の終わり頃、住んでいる自治体から3000円分の商品券が届いた。コロナ対策で、地域事業者への還元を促すための商品券とのことだった。嬉しい。使えるお店のリストを見てみると、行ったことのあるお店がいくつもあった。そして行ってみたくてgoogleマップに保存したばかりのもつ焼きやさんもあった。
とりあえず偵察のつもりで店の前を通ってみると、営業時間が変更されていたのか、15時過ぎなのにもう開く所で、なおかつ一番乗りというチャンスだった。
カウンターは1人ずつパーテーションで区切られているものの、久しぶりの居酒屋然とした雰囲気に心が踊る。メニューを熟読し、串を5本とモツ煮とビールを頼む。炭の上にのせられていくのは、すべて私のための串というラッキータイム。凍ったジョッキは久しぶりだ。
常連らしきお客さんで賑わい始めた頃、「これ使えますか」と商品券を出すと「おっもう届いたんすね」と言われて、その地元っぽいやりとりがちょっと嬉しかった。

次に使ったのは、近所の喫茶店だった。休日は混むのと営業時間が短い(コロナ対策)ことをのぞけば、私の理想の喫茶店で、月に2、3回くらいのペースで通っている。ケーキもコーヒーもとてもおいしいうえに、私の好きな絵も飾ってある。
家から向かうと、少し坂をのぼった先になるのだけれど、先日、その坂の上からだと富士山がよく見えることに気がついて、さらに好きになった。細い道から見ると、富士山はより大きく見える。

最後の1000円分は、ロースカツをテイクアウトするのに使った。
今の家の売主さんにおすすめしてもらったとんかつやさんで、引っ越し後に幾度か店の前で鉢合わせたこともある。
持ち帰って、ご飯を炊いて、いざ食べようと思ったら肝心のご飯を失敗していた。軽量カップ文鳥用の、切り落とした蕪の葉をいれていたため、横着して他のカップで軽量したのが原因だ。
食べられなくはないけど、べちゃっとした食感の残念ご飯でおいしいとんかつを食べながら、今後お米を炊くことで妥協しない、という誓いを心に刻んだ。

そうこうしているうちに4月が終わり、ついに引っ越して1年がたった。
1年というのは、こんな風に、商品券を使いたい先をいくつも思いつくことができるだけの日数なんだなと思う。
一方で、休業を知らせる看板の日付に幾重にも線がひかれ、延長を余儀なくされているお店もある。今日もまた、緊急事態宣言延長のニュースが流れたばかりで、
私はまだこの町の「いつも通り」を見たことがないのだなとも思う。もう1年が経つというのに。

「あのこは貴族」を見て思い出したあのこ

「あのこは貴族」という映画を見た。
現代ものではなかなか描かれることのない、でも確実にある「層」との間に生まれた縁がテーマになっている映画で、新鮮だった。

そして私は映画を見ながら、登場人物の彼女たちと同じ年頃に出会った、Mちゃんのことを思い出していた。
Mちゃんとは、転職活動中のバイト先で出会った。5人くらいいた同期のうちの1人で、週に1回は全員でランチをする、みたいな文化に及び腰になっていた自分をMちゃんはなぜか面白がって、なにかと話しかけてくるようになった。昼休み、私が「郵便局に行く用があるから(一緒にランチはできない)」というと、じゃあ一緒に郵便局行く、と返してくるような子でもあった。

そのバイト先は、いわゆる大企業で、周囲の人たちは皆良い人だったけれど、自分にとっては「新卒で就職できなかった自分」について日々考えてしまう場所だった。バイトをきっかけに契約社員になることなどを目指している子もいたけれど、
私はとにかく、ここからでて「正社員」になりたいと思っていた。正社員になればなにかが解決すると思っていたのだ。そういう時期に出会ったのがMちゃんだった。

Mちゃんがなにかしらの会社の社長の孫だ、ということは知っていた。お父さんが東京にくるからネイルを落とさなきゃ、とよく言っていて、厳しい家なんだな、と思っていた。
そしてMちゃんはしばしば、早く結婚相手を決めるように急かされている、という話をしていた。
好きな人もいて、でもそれと結婚相手は別の話だということもあけっぴろげに話していた。いつも笑っていて、人懐っこい子で、思い出せばいつも姿勢がよかった。

当時、私とMちゃんは暇さえあれば一緒に遊んでいて、いつだったか、Mちゃんの「好きな人」のマンションに泊まらせてもらったこともあった(その人の自宅は関西にあるため、家主はいなかった)。変な話だが、たぶん飲んだ帰りに終電がなくなったとかそんな感じだったと思う。
いかにもデザーナーズマンションという感じの部屋で、私たちは1つのベッドに寝転んで彼女のおじいちゃんが特集されている「プロフェッショナル仕事の流儀」を見た。

やがて私は就職が決まり、Mちゃんからは結婚式の招待状をもらった。
バイトが終わってからは一度も会っていなかったので、正直、結婚式に呼ばれる間柄でもないような気がしたけれど、バイトの同期との同窓会のようなつもりで参加した。
そこで私は初めて、床につくドレスで結婚式に参加する人たちを見た。待合室に足を踏み入れた時の違和感というか、私が開くべきではないドアを開いてしまった感じは、よく覚えている。
ウエディングドレスを着たMちゃんは相変わらず、姿勢良くにこにこ笑っていた。

彼女はそのまま夫の海外転勤についていき、それ以来、一度も連絡をとっていない。

それなりに長く生きてくるとそういう、もう2度と会うことはないだろうなという人もいる。会わないからといってなくなったわけではなく、稀に思い出すと新たな発見もある。
「あのこは貴族」は私にとって、そういうきっかけになった映画だった。
Mちゃんのことを検索してみたけれど、名前では何もヒットしなかった。
元気にやってるといいなと思う。私も適当にやってます。


あのこは貴族 (集英社文庫)

あのこは貴族 (集英社文庫)

土鍋を買った

土鍋を買った。米を炊く用の丸い土鍋だ。
土鍋については、これまでも何度か検討しては、でも自分の生活に組み込むのはちょっと難しそうだな、と見送っていた。
しかし昨年あたりからどうも炊飯器の調子が悪く(もう10年近く使っているので仕方ない)、引越ししてキッチンにも余裕ができたことだし、なおかつ買おうと思ってた土鍋はとても安い(3000円くらいだ)、と条件も揃ったことで思い切って購入した。

これがとてもいい。

まず米がおいしい。炊飯器は徐々に調子が悪くなっていったため、たまにちょっとべちゃっとしたところがある炊き上がりになるのに慣れてしまったというか、「まあこんなものだ」と諦めのような気持ちで接していたのだけれど、
到着して初めて炊いてみた土鍋ご飯の、全粒が生き生きとつややかな炊きあがりには、お米とはこのように美しいものであったのか、と感動してしまった。さらに、食感が良くなったことで味も格段に跳ね上がった。昨日壊れかけの炊飯器で炊いたご飯と、今日新品の土鍋で炊いたご飯との間には、同じお米というのが信じられないくらいの差があり、旅館などででてくる「概念としてのおいしいご飯」みたいだった。

さらに、土鍋ご飯は思っていたより簡単だった。土鍋で米を炊く=はじめちょろちょろなかぱっぱのあれ…、という漠然とした「めんどくさそう」イメージを抱いていたのだが、いざ土鍋に付属していた「ご飯の炊き方」を読んで見ると、1合の場合、20分くらい浸水した後、だいたい10分で沸騰するように中強火にかけ、沸騰したら弱火で1分、その後しばらく蒸らすといういたってシンプルな工程だった。
浸水と蒸らしは放置しておけるので、火にかけている10分ちょっとを気をつけておけばいいだけなので、生活(=放鳥の合間)への組み込みも難なく果たされた。

それから、土鍋で炊いたご飯は冷凍してもおいしい。出勤日はなるべく弁当を持参しているので、冷凍しておいたご飯を解凍して使う機会はそれなりに多い自分にとって、この点はとっても嬉しい。
炊飯器は保温するにも半日が限度な気がするし、炊飯器で炊いたご飯は冷凍→解凍でべちゃっとしやすいのだ(これも炊飯器の調子の悪さに原因があったのだと思う)。
それがいまや、解凍してもつやつやのご飯が食べられるようになった。

そんなわけで、土鍋を手に入れて以降、私はお米ばかり食べていた。
たまごかけご飯に三色丼、納豆ご飯にキーマカレー、先日初めて作った衣笠丼もおいしかったし、「丼」だけでなく、炊きたてご飯があると思えば、これまであんまりやらなかった焼き魚への意欲もわくし、焼きたらこでおにぎり、牛肉はしぐれ煮、塩辛とか、梅ひじきとか、こう、塩気のあるものちょこっととご飯だけで随分なご馳走ですよね、なんて日々の献立をお米中心にたてていたら、体重がてきめんに増えていました。
そして現在、米は1日1回までと決め、フィットボクシングに励んでいます。

春の目標は、春野菜で炊き込みご飯をすることです。