12月の第2週

夏ぶりの友人に会った。
前に会ったのは生まれて初めてノンアルビールをお代わりした日だった。
つまりアルコール提供が完全に止まっていた期間のことで、今思い出してもなんだか白昼夢のようだ。閉店時間も早かったため、店を出た後に行く場所もなく、ハーフタイムで終了してしまったような夕方、次に会う時はフルタイムでやりましょうというような別れ方をした。
そんなわけで、今回は料理にあわせて日本酒をどんどん出してもらった。
外食は楽しい。どんな味がするかわからないものを食べられるのは嬉しい、ということをしみじみと噛み締めた夜だった。

そこで、コロナ禍ではそんなに日記に書くことがない、というようなことを話した記憶がある。私が代わり映えのない日常を送っているせいでもある…とはいえ文鳥のことならいくらでもかけそうではあるのだけど、
先日も母親に、最近どう、と聞かれて真っ先にでたのが最近通い始めた歯医者が良い感じで嬉しい、ということだった。
常々、歯医者と美容院はかなり相性に左右される部分があると感じており、特に歯医者は口コミで判断し辛い分野なので、かなり及び腰で向かったのだけど、
少々説明が長い(丁寧ともいう)ものの、頼んだ処置は素早く仕上がりもよく、気分があがってつい、1本だけ残っていた親知らずを抜くことに決めた。3本あって、20代の頃に2本抜いたのだけど、術後の歯茎に穴の空いた状態が不快で、そのまま最後の1本を放置していたのだ。
年末年始は色々と食べたいものがあるので(といったら笑っていた)抜くのは来年で…、ということになり、2回目にはクリーニングを入れてもらった。
クリーニングは結構苦手なターンなのだけど、終わったらキンパを食べるんだ…ということを考えて乗り切った。

というのも近所の飲食店街に新しく韓国料理店ができたのだ。
看板が出た時から楽しみにしていて、すぐにTwitterアカウントも見つけた。まだフォロワーが3人とかだったのでフォローはしづらく、ブックマークだけしてupされたメニューを読み込んだ。
そして無事クリーニングを終えた私は、いかにも通りかかったというテイで店に入った。扉を開けた瞬間の、店員さんの感じのよさにいきなり好感度が高まる。小さな店内はそこそこに混み合っていて、長く続いてくれるといいなと思いつつテイクアウトで念願のキンパを注文した。
キッチンから「ノーマル?」という声がかかり、種類があるのかとメニューを見せてもらってあらためて肉のキンパを頼む。店内からこっちもキンパという声がかかってなんだか嬉しい。
うけとったビニール袋の中、キンパはおいしそうに鎮座している。

そうして帰宅して、文鳥としばらく遊び、寝かせてからキンパを食べる。これが私の2021年の暮れである。

大豆ざんまい

袋状の油揚げに納豆を詰めて焼いたものが好きだ。フライパンでじりじりと焼き、最後に醤油をまわしかけた時の香ばしい匂いは最高に食欲をそそる。なんという料理なのか知らないし、実家では食べたことはないので、たぶん居酒屋などで食べて覚えたのだろう。
私はそれをかなりの頻度で作る。油揚げ、納豆、醤油どれも大好きだし見事な大豆被りで、大豆の万能さに驚くばかりだ。
そして文鳥の名前もソイ(ソース/お醤油)だ。

最近のソイについて、これは…もしや…意思の疎通が取れているんじゃないか…?と思うことがある、と言ったら「意思の疎通は双方向なのでは?」と言われ、それとはちょっと違うのだけど、「なんとなくわかる」の範囲が広がってきたような気がする。
相変わらず怖がりなので手に乗せた状態で部屋を移動するだけでぎゅっと足をふんばるのもかわいい。Switchが嫌いなのだけど、やりかけだったSwitchをクッションの下に隠した状態で放鳥したら「そこになんか嫌なものがある気がする」という感じで顔をいろんな角度に傾けながら確認しているのもかわいい。頰によりそうように肩にとまっていたとき、私が首を傾ける方向を変えるとトトッと反対の肩へ移動し寄り添いなおすのもかわいい。
そういった行動について「ああSwitchを気にしてるんだな」とか「慣れてない場所がやなんだな」とかわかるようになった感じだ。

近頃、地震が多いので、もし避難することになったらどうしようかということをよく考える。
夜中に強く揺れる時、カゴの中でパニックになり暴れている文鳥をなだめようと、暗いままの部屋で少し撫でることがある。ドラムロールのような速度で脈打つ心臓を手のひら越しに感じると、そんなに急がないで欲しいといつも思う。

文鳥が家に来たばかりの頃、小川洋子「不時着する流星たち」に収録されている「さあ、いい子だ、おいで」を読んで、(それは文鳥を飼い始めたものの、だんだんと疎ましくなってカバーをかけっぱなしにする飼い主の話なのだけど)、もし、万が一にでも自分がこれになったらどうしよう…と恐ろしくなった。
今のところ、その兆候はないものの、なるべく自分を信用せずに疑っていきたい。

そろそろ年末が近づいてきたので、引きこもり用の食材をあれこれ買い込むことを楽しみたいと思います。

散歩と2冊の小説

先日、1人で昭和記念公園に行った。
バードウォッチング用のエリアがあるらしいと知ってからずっと行きたいと思っていたのだけれど、新型コロナ感染症の影響で長らく閉まっていて、それが先日ようやく開いたのだ。

魔法瓶にコーヒーをいれ、鳥も見たいので双眼鏡も持ち、一番歩きやすい靴で公園へと向かう。最寄駅(立川)から公園まではそれほど遠くないのに、公園内に入ってから有料エリアの入口にたどり着くまでですでに10分くらいはかかっており、地図でもう一度その広大さを確認して1日で全部回るのは無理だなと早々に諦め、バードウォッチング用の小屋を目指すことにした。

思ったより遠いな、と3回くらい思ったあたりで「バードサンクチュアリ」という野鳥観察小屋に着いた。誰もいない。これなら見放題だ、と双眼鏡を構えてみること数分。
何も起こらない。鳴き声ひとつ聞こえなかった。
文鳥を飼い始めて以来、鳥類全般に興味を持つようになり、「とりぱん」を読んでは野鳥観察に憧れを募らせていたのだけれど、自然の多いところに行けば野鳥がみれるのではというのは、どうやら甘い考えだったようだ。
考えてみれば、家にいても、鳥の鳴き声がよく聞こえてくるのは朝と夕方だ。どちらかというと朝の方が多い。とりぱんを読んでたって朝が肝心なのはよくわかる。
ということは、こういった観察スポットだって、鳥が活動的な時間帯に訪れることが重要なのではないだろうか。
昼過ぎは遅すぎたのかも。でもせっかくだし……としばらく粘ったものの、鳴き声ひとつ聞こえず静まり返っているのでなくなく諦めることにした。
(追記:ひと月後に訪れた際は同じくらいの時間帯でもたくさんの野鳥を見ることができたので単に季節もしくは天気の問題だったのかもしれない)
少し歩いて池のほとりにあるベンチに腰を落ち着けた。
サーッと風が吹き、ススキのような、池から生えている背の高い植物が、おくれてゆったりと体を倒していく。
その向こう、けぶったような曇り空の下には、ぽつぽつとスワンボートが浮かぶという古ぼけたポストカードのような景色が広がっていた。池は向こう岸が見えないほど広い。
ずず、とコーヒーをすする音すら吸い込まれていくような静けさで、いいところだなと思った。
ベンチの背もたれも本を読むのにちょうどよい具合だ。膝頭に日差しが当たって暖かい。

この公園で働くのはどんな感じだろう。
津村記久子さんの「この世にたやすい仕事はない」という本を読んでから、大きな公園にいくたび、ここで働くのはどんな感じだろうと考える。
ふと、すぐそばのウッドデッキでウエディング衣装をきたカップルが写真撮影をしているのに気がついた。ざぁ、、っと風が吹いて植物が揺れるたび、白い衣装がよく見えて、レアな鳥を見つけた気分を少しだけ味わったような気分になれた。

写り込んでもなんだし、とベンチをあとにして、広大な池のまわりをぐるりと歩く。歩いていると、自分もこの公園の一部になってる感じがして、よいところだなとまた思った。

それからしばらくして、津村記久子さんとチョン・セランさんのオンラインイベントがあることを知って、参加した。そこでチョン・セランさんが「この世にたやすい仕事はない」の話をしていて、さらに津村さんが「フィフティ・ピープル」の話をしていて、
あの公園で私は「フィフティ・ピープル」を読んでいたんだよね、という日記を書いておこうと思ったのでした。

季節のカード

近頃、日に日に日が短くなっていることを感じる。
秋冬は、食べ物がおいしいという点で楽しみな季節でもあるのに、日が短くなってくるともうそれだけで気持ちが焦る。冷たさの混じった空気に、ふといつかの文化祭や黄色いイチョウ並木を思い出し、今年ももう終わりだという気分になる。
この落ち着かなさは自分にとって毎年の恒例行事であり、来年になれば日が長くなっていくのを感じるとともに、気が大きくなっていること請け合いなのだけど、ならば焦る意味はないとわかってはいても、どこか急かされているような気分が続いてしまう。

こういう、季節に引きずられる「気分」をうまくコントロールする方法はないんだろうか。

日が短くなってくることの物悲しさはおそらく「暗い」「受験」「寒くて全てが面倒」みたいなカードを思い起こすからだと思う。
ならば、このイメージを払拭するようなカードを揃えることさえできれば、日が短くなってくることの物悲しさも打ち消せるのではないだろうか。
「鍋うまい」「ご飯が美味しい」「虫がでない」
どれも強力だが「寒くて全てが面倒」カードがなかなか倒せない。
「豚汁」「あったか〜いの飲み物」「家の中から見る雪」
なんて延々と「寒くて全てが面倒」に勝てるようなカードを想像していて、思いついたのが「床暖房」だ。

私は床暖房のある家に住んだこともなければ、今後床暖房を入れる予算もないので完全に想像でしかないのだけれど
「床暖房」
という概念には「寒くて全てが面倒」を打ち消すようなパワーを感じる。
そんなわけで、今年の秋は自分にとっては絵空事カード「床暖房」がどの程度秋の物悲しさに対抗できるのかを試していきたいと思います。

あと「受験」カードに「もうしなくていい」カードを使うと、むしろやる気が削がれる気がするので、これに対抗するより良いカードを見つけたいところです。具体的には何らかのテストをうけて良い結果を得るとかしたい。

ペットカメラを買った


ペットカメラを買った。
ずっと気になっていたものの、文鳥を飼い始めてからはずっと在宅時間のが多く、まだいらないか、なんて思っていたのだけれど、先日Amazonのギフト券をいただいたのをきっかけに思い切って買うことにした。

今のところ、買ってよかったと思っている。今どうしてるかな、と思ったときすぐ確認できるのがよい。それから、今まで知ることのなかった、出勤日(私の)の過ごし方について知れたのもよかった。

在宅日(私の)の文鳥は、だいたい午前中がとても活発、昼〜夕方にかけてはちょっと昼寝などして気が向いたら呼び、仕事を終える18時頃からまた活発になる、という感じだ。
なので、私が留守にしている間もそんな感じなのかなと思っていたのだけれど、
実際は、たまにご飯を食べに移動するだけで夕方までほぼ定位置でじっとしている。ペットカメラを設置してしばらく経つけれど、出勤日の行動はほぼ変わらない。カメラを拡大すれば羽繕いの様子などは確認できるが、位置はほぼ変わらず、一番奥まった安心エリアにいる(昼寝するときも大体ここだ)。

ほぼ動かずに9時間ほどすごしているのを見て、いくらなんでも運動不足では…? と心配になったけれど、よく考えたら私も9時間机に向かって仕事をしているので似たようなものなのかもしれない。
そして在宅時同様、18時頃からだんだんと活発になってくる。ストレッチをして、えさを食べ、扉をつついて出してくれアピールをはじめる。その様子を帰りの電車で見守るたび、私は寄り道せずまっすぐ家に帰ることを決意する。

そうして朝ぶりに再会した文鳥は私の首元に陣取り、羽繕いを始める。換羽期なので羽が舞い散り、私がくしゃみをすると怒って首元をつつく。

いまだに「ソイ」と呼んでもほぼ返事はしない。けれど「ポピポピ」と鳴き真似をすると、かなりの確実で「ポッポピ」と返してくれるようになった。


ところで先日でた、松本大洋さんの新刊「東京ヒゴロ」は表紙の通り、文鳥がメインキャラクターとして登場する大変嬉しい漫画だった。人語を解するところはファンタジーだけれど、その仕草はとても馴染みのあるもので、作者はきっと文鳥を飼っているんだろうなと思う。文鳥はかわいい。