知らない人

私のよく使う駅には、ホームから地上にある改札にあがるエレベーターがある。
だいたいいつも混んでいるんだけど、私はついいつもの(会社の)くせで、エレベーター開くボタン押す係になることが多い。
自分でそこに立っておいてなんだけど、入り口そばに立っているのはなんとなく邪魔をしているようで気まずく、かといって私が指を話せば閉まってしまうのもまた気まずい。
が、入ってくる人に舌打ちされたりなんかすると、ちょっとムカッとくることもある。ムカッときつつ、降り際にもやっぱり開くボタンを押してしまう自分がいる。
そんなとき学生さんやおばあさんが「どうも」と声をかけてくれたりすると、その日一日が良い日だったような気分になって、自分もタクシーの運転手さんやコンビニの店員さんやキオスクのおばちゃんや、とにかく知らない人に「ありがとう」という言葉を発してみたくなる。

今日あの「電車男」についての記事↓を読んで少し思うところがあり、散々既出のことながら、少しメモ。
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/wadai/news/20050221spn00m200006000c.html
やらせだとかなんとかいろいろ議論されてる中で、新潮社側はなんだか本当の話ですよ、という証拠をいろいろ提出しようと一生懸命に見える。でも私が思うのは、あの時あそこで顔も知らない人同士によって、圧倒的にプラスの感情が動いていたという事が「すごかった」ということ。だから別に本当のことなんかどっちでもいいのだ。確かにあの場にいた人たちにしてみれば、もしも誰かの仕掛けにのせられたのだとしたら気分が悪いと思う。でも私は別にあれがやらせだなんて思っていないし、もてないとされている男性に彼女が出来たことよりも、全くの他人の幸せを一瞬でも喜ぶことができた人たちがたくさんいたということに嬉しい気分になった。そして日常でもそうできればいいのにと思った。
いろいろ不満とか文句とか羨ましいとかむかつくとか、そういう感情もあってあたりまえだけど、たまにお礼とか言ったり言われたりしていい気持ちになると、いろんな人の幸せをよかったね、と言いたい気分になる。
そしてそういう気分はなんだか幸せっていうのに近いと思うわけです。