- 作者: 絲山秋子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/10/28
- メディア: 単行本
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そこから見える出口には希望しかない。しかしその希望を失った時に、全てを失う気がして怖くて、彼はそこから出ていけない。
小田切実にとって、日向子の存在はそのようなものであったはずだ。そうであってほしい。彼等はお互いを理解しているというよりはむしろ自分自身の一部としてお互いを受け入れていて、それはつまりアーリオ オーリオ星のようなものなのだ。自分の近くに見えていて欲しい、自分勝手な妄想によって作り上げられた光。でも希望ってそういうものだ。
小田切実をめぐる2篇のラストシーンで思いだしたのは、ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」でアンヘラ・ビカリオのところにバヤルド・サン・ロマンがやってくるところ。アンヘラ・ビカリオにとってそうであったように、日向子にとっての小田切もただたんに必然であったとしか思えない。
そしてそのアーリオ オーリオ星というのは、もう一編の「アーリオ オーリオ」に出てくるんだけど、このお話の読後感は池澤夏樹さんの「スティル・ライフ」の読後感にとても良く似ていました。スティル・ライフだけじゃなくてあれ一冊丸ごとの読後感。なんでかは後日確かめてみようと思う。あとラストにかけて「ほしのこえ」も思いだした。
「袋小路の男」「小田切実の言い分」の2篇と「アーリオ オーリオ」の印象は全く違うけど、とにかく私はこの人の書く話がすごい好きだなと思った。
「ほめられたい」という赤裸々かつ切実な小田切の台詞が作者の心情の一端をあらわしてるのなら私は褒めまくりたいと思う。暑苦しく。