米寿

祖父の米寿のお祝いで茨城へ行く。車で片道2〜3時間。家族で1つの車に乗り込むと言うこと自体、ひどく久しぶりなことなので、少しばかりとまどう。早朝の光が眩しい。妹とipodに入れたフィッシュマンズを片耳づつにわけて聴いているうちに眠ってしまい、目覚めるともう祖父の家の前だった。
ここにくるのは、もしかしたら5年ぶりくらいか、もっと経ってしまったかもしれない。私が小学生の頃に建てられたその家は、私の記憶の中では未だに新築の匂いがして、新しい家特有の、全てのものの置き場が定まっていないような印象があったのだけれど、数年ぶりにその中に足を踏み入れると、記憶とはほとんど変わっていないながら、すべてのものはしっくりと馴染んでそこにあり、壁の色だけが年月を語っている様な気がした。庭にはたくさんの花がさいている。育てた花も勝手に育った花も平等に咲いている。ホトケノザとかぺんぺん草とかカラスエンドウとかも、当たり前に咲いていた。
親戚が揃ったところで、食事会の会場へと向かう。
中華料理を食べながら、いろいろな近況報告が交わされていく。話を聞いているうちに、そこにいる皆のいろんな時間が1つの空間に集まってくるようで、親戚という存在は、何か不思議だと思った。特に、田舎から離れて育ったせいか、自分の親が、同時に子どもという存在でもあるのを目の当たりにするといつも、何かを発見したような気分になる。そんなことを考えつつ、私は、あまりにも久しぶりに顔を見る親戚たち相手にどうしても人見知りしてしまい、ついつい意識が遠くなってしまいがちだった。祖父へのお祝いの色紙には「八十八ということで末広がりに元気に過ごしてください」というような気の利かないことを書いてしまう。
会の最後にその色紙を渡し、皆で記念撮影をしてお開きとなる。
食事の後には、近所にある鉱物の博物館へ寄り、その後再び祖父の家へ戻った。従兄弟の息子と娘と一緒に暫く過ごすが、そのがむしゃらな元気さにも驚いた。年下の従兄弟たちもすっかり大人になっていたが、記憶の中ではまだこのくらいの幼さでもあるのだ。そして今日の私たちがそうしていたように、年上の誰かとこんな風に遊んだりしていたのを思いだして、そんな風に記憶の原点にも近い記憶を共有している人たちがいると言うこともまた不思議な感じがした。
夕食の後、再び車に乗り込んで帰途につくことになる。祖父と祖母は玄関先まで見送りに出てくれた。久しぶりに会った祖父も祖母も、思っていたより元気そうで安心した。
GW中ながら、高速道路はあまり混んでいなくて、日付けが変わる前に家に着くことができた。
自分が88歳になった時のことはまだ想像もできないけれど、祖父が私くらいの年齢だった時はどうだったろうか。米寿、という言葉を聞いて、今日のこんな風景を想像したりはしたんだろうか。寝る前にそんなことを考えてみたけど、私の中の米寿は相変わらず真っ白だ。色が付いているのはせいぜい3年後くらいまでて、その先には漠然とした白い空白が続いている。「ロングロングケーキ」*1の風景みたいに。

*1:大島弓子さんの