「誰も知らない」/是枝裕和

誰も知らない [DVD]


日本映画専門チャンネルにて。
1988年に起こった実際の事件をもとにして描かれる物語、ということは多分映画を観る人のほとんどが知っていて、私も最初からある程度あらすじには予想がついているうえで観ていたからか、一度めに劇場で見た時と今日見た時と、印象はほとんど変わらず新鮮なきもちでみれた。

是枝監督には大学で短期間の授業を受けた事があって、その授業のおかげで私はドキュメンタリー作品にも興味をもつようになったのですが、当時、監督に対して、映像を通して訴えたいことをきちんと持っているのに、それがけして説教くさくはならない人だなと思ったのが印象に残っています。なんというか、その描き方の力加減がとても好き。
この『誰も知らない』での、子どもたちのとてもリアルな演技にも、やはり監督の演出力というか、一年間を通した役者さんたちとの関わりから生まれてくるドキュメンタリー的な要素が多く含まれていると思う。
特に印象に残ったのは、長男に友人ができて、でも彼らとの間にあるこえられない溝を目の当たりにしたあと、長女とその感覚を共有したと感じられる場面。そしてみんなの靴を出して、外に出て行く所。きらきらした光に溢れていて、その光をあたりまえに得る事ができないでいるなんておかしいよなと思ってかなしくなる。
母親という存在に向かってほめられたい、みとめられたい、そしてそばにいてほしいと思うことで奇跡的なまでにルールを守り続けていた彼らが、やがて、もしかしたらもう見捨てられてしまったのかもしれないと感じる事で、逸脱していく過程は心にせまってくる。けれど、その中にもやはりあの野球のシーンみたいに輝く瞬間はあって、そんなふうに目の前のことに全身で反応しつづけることができるのが子どもっていう存在なのかもしれないと思う。
映画を見ている間ずっと考えていたのは、やはり自分の近くに知らないでいる、知ろうとしないでいる彼らがいるんじゃないかということ。もしあそこに私がいたら、一体何をしてあげられただろう? と考えてみるけれど、きっと何もできないだろうとも思う。あの母親のように、決して悪人ではなくても。目先の事に流されて面倒なことを先送りにする瞬間ていうのは誰にでもあるような気がする。そして、とりかえしのつかない何かっていうのは、そんなふうにして失われていくのかもしれない。
映画のあとにナビゲーターの軽部真一アナと、監督の対談があったけど、話がぜんぜんかみ合ってなくってもどかしくなった。

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