夜のピクニック

夜のピクニック

夜のピクニック

本屋大賞で第1位となった恩田陸さんの本。
個人的に、恩田さんの作品は作品によってまったく異なる印象を受けるので(そこも魅力のひとつですが)、読んだことが無いものも多いのですが、この「夜のピクニック」は私が恩田陸作品の中で1番大切にしている「ネバーランド」に近いところがあるよ、と聞いていたので、楽しみにしていました。読了した友人から頂いて、本日読了。
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高校時代最後の行事である「歩行祭」での出来事を描いた作品。
読んでいる間中、憂鬱なんだけど、楽しみにしていて、終わってしまうと寂しい、そんな思い出が、土煙の匂いとともに鼻先をかすめていくような感じがした。私の中で学校のイベントってたいてい土煙の匂いがする。校庭のざらざらした感じ。
私は中学、高校と女子校に通ったので、この「夜のピクニック」で描かれる様な出来事は、やはり共学ならではだなあ、と感じるところもある。男子校を舞台とした「ネバーランド」を読んで感じたのが憧れだったのに対し、「夜のピクニック」を読みながら考えてしまうのは、そこにいたかもしれない自分のことだった。
「普段は、二人の会話は雰囲気だけで進んでいく。言葉の断片だけがやりとりされ、二人が描いている絵は周囲の人間には見えない。(p142)」
融と忍の会話についての描写で、こう書かれているのを読んで、私にとって、そういう話し方ができる初めての友人は男の子だったので、そういう成長過程にある男の子を間近に見ることがなかった、というのはやっぱり、つまらないなあと思う。もちろん女子校にも楽しい思い出はたくさんあったから、後悔してはいないけど、例えば融には他にテニス部の友人などもいて、どちらも大切に思っていて、でもなんか少し違う特別さが忍にはあって、そんな微妙な力加減なんかは、やっぱりちょっと憧れる。
私の通った女子校は、とくに派閥を作りがちなところで、私はその派閥に属さない為にも「浮いてる」存在として認知されるよう力を注いでた様なとこがあった。まぁ、今考えると、属すとか属さないとかばかばかしいけども、だからこそ、忍の言う、「なんて言うんでしょう、青春の揺らぎというか、煌めきというか、若さの影、とでもいいましょうか(p181)」そういうものを、満喫できなかったような気がする、とずっと思っていたところがある。卒業してずいぶん経ってしまってなお、あの時何か「特別なこと」が出来たのではないかと、考えてしまうことは今でもある。
しかし、この「夜のピクニック」の中で何度も繰り返される、誰もが一度は経験したことがあるような、「これまでの時間が惜しいような気がする。面倒くさいけど、高校最後の行事としてもっといろいろなことをしっかり考えるつもりだったのに。(p164)」という気持ちを追体験していくうちに、描かれるのは学校に束縛されている学生時代だからこそ経験できる出来事だけど、ふとそれと同じ様な体験は今でもできることなんじゃないかと思った。
疲労がつのるにつれ、目先のことしか考えられなくなり、でも何かを得なければという焦りを感じたりする。その焦燥を明確に描き出すという意味でこの「歩行祭」というモチーフはとても効果的だったのだと思う。

おそらく、何年も先になって、やはり同じように呟くのだ。
なぜ振り返った時には一瞬なのだろう。あの歳月が、本当に同じ一分一秒毎に、全て連続していたなんて、どうして信じられるのだろうか、と。(p210)

だからこそ皆「あの頃は」とかいう話をしたがるのかもしれない。でもその今だって、いつかのあの頃なんだよな。
自分自身も歩行祭に参加しているような気分で読んでいたので、読み終えると素直にそんな感想を抱くことができた。もっとずっと読んでいたくなる本だったし、終わってしまうのが寂しくなったりもしたけれど、「大部分は疲れてうんざりしてるのに、終わってみると楽しかったことしか覚えてない(p316)」そんな思い出が自分にもあるのを思いだして、ちょっと安心した。これからもあるだろうか? と考えると、毎日を大事に過ごそう、という気持ちになる。
とても良い作品でした。時間をおいて、また読んで、一晩中歩いてみたい。