久しぶりに読み返す。
- 作者: 吉野朔実
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2001/06
- メディア: 単行本
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この作品の「良さ」を言葉にするのは、とてもむずかしい。
それでもなんとか説明してみるならば、人の感情の割り切れなさ、これが「善」でこれが「悪」なんていう簡単な区分けのない、生きた感情がそこにあった、ということだと思う。
特に第1話〜第3話で描かれる瞳子と家族とのやりとりには自らを顧みたり、顧みたことに悔しくなったり、同じ様な出来事に思い当たって憤慨したり、主人公の瞳子を通して自分の嫌な部分や譲れない部分を目の当たりにさせられているような気がした。とにかく母さんが似てるんだうちの母さんに。そして自らの大切にしているものが家族に理解されないことを、私も瞳子のようにもどかしく思い、苛々して、苛々する自分に腹をたてたりしていたのだ。
そんな風に動揺しながらも私が瞳子に共感しつづけているところで、瞳子の友人である森澤君は言う。
人はその人にふさわしい人生を生きる。必要のない能力は開発されない。
この台詞以降、瞳子は外へ向かって行く様な気がする。
そして最後の作品、「ボーイフレンド」は、「今日は昨日の続きじゃない−−/だから…/明日も今日の続きじゃない」という台詞ではじまる。これは大島弓子さんの『バナナブレッドのプディング』の冒頭「きょうはあしたの前日だから/だからこわくてしかたないんですわ」という名台詞への返答のような作品だと思う。
そして、瞳子は「自分のそういうところを、私はちっとも好きじゃない」という台詞を口にすることで、自らの「ふさわしい人生」を踏み台にして、傷を負ったり癒したりしながら、変わって行く決心をしたのではないかなと思った。
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吉野さんの作品が初めて男性誌に掲載されたのはこの『瞳子』だったと思います。そのせいもあってか、吉野朔実さんの「色」を凝縮したような、とてもバランスのとれた作品なので、もし、吉野さんの漫画を初めて読もうという方がいれば、迷わず『瞳子』をすすめたいと思います。
ちなみに装幀はコズフィッシュ(祖父江慎さん+芥陽子さん)です。