リチャード・ニクソン暗殺を企てた男

ichinics2005-06-18

監督/脚本 ニルス・ミュラー
1974年に起きた、実際の事件をもとにした作品。しかし内容は事件そのものというよりは、事件を起こすに至った犯人の心理のほうに焦点があたっている。
とにかく主人公のサムを演じるショーン・ペンがすごい。表情、目つき、喋り方、すべてにおいて、ショーン・ペンはサムになりきっていて、私はショーン・ペンてこんな顔つきの人だったっけ?と空恐ろしくなった。見てるのが辛いくらいの痛々しさで、ああ、こんなじゃ生きにくいだろうな、と思う。
その生きにくさはサム自身も実感しているはずなのに、彼はちっともかわろうとしない。それは彼が現実を認めたくないからなのだとはおもうけど、だからといって何かの切欠で彼の人生が上手く行く様な予感や希望もなく、ひたすらに彼は現実から目を逸らし続ける。仕事も金もないのに、ふて寝する。そのせいでどんどん追いつめられる。
サムは自分に正義があると思っている。平等や正直を美徳として、それを実践しているつもりでいる。確かに言っていることには理解できる部分も無いわけでもないけど、押し付けてしまうから拒絶される。そうやって、自分の考えが理解されなかったとき、彼は結局逆切れする。自分自身を顧みること無く、彼は自分にひたすら甘い。そして他人にもその甘さを要求する。「もっとおれに優しくしろ、優遇しろ、理解しろ」彼が言いたいことは結局それなのだ。そして片端から希望が失われていくことを「何かのせい」にし続ける。その最終的な対象がリチャード・ニクソンだったということだろう。
こういう人に実際会った事は無いけれど、でもなんとなく、サムの気持ちを察することが出来るのが不思議でもあり、きっとそれは私にもサムのような部分があるからなんだと思う。しかし察することはできても、実際こんな人が身近にいたら、やっぱり面倒見切れないよ、とも思う。だって人の話をきかないんだもん、とサムに腹を立てつつも、見終わったあとにはかなりブルーになった。「ファーゴ」見た時の後味に近いかも。
物語はシンプルで良かったけれど、この映画の良いところは「だめだった人」の典型をきちんと描き出したということじゃないかと思う。こういう人が主人公の映画でしかも全く希望なし(こういう映画ではだいたいエサ的な希望が用意されてることが多い気がするので)、というのは初めてみたような気がする。