MONSTER/浦沢直樹

Monster (1) (ビッグコミックス)
先週末くらいから「MONSTER」全巻を読み返してみようと思っていて、ゆっくり読もうと思っていたのに今日読み終わってしまった。1巻とかは、はじめて読んだのがもう5年以上前なので、いい感じに記憶が薄れていて、新鮮な気持ちで読むことができてよかった。
浦沢直樹さんの漫画は大好きで、今連載中の「PLUTO」も「20世紀少年」も「MASTERキートン」も「パイナップルARMY」も好きな作品だ。それなのに、浦沢直樹作品、とくに「MONSTER」以降の作品には、なんとなくのめり込めないところがある。それはなんでなんだろうと思っていた。
その理由が今回「MONSTER」を読み返してみて、なんとなくわかったような気がする。
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「MONSTER」を読んでいるときの感覚は、漫画を読んでるっていうよりも、サスペンスやミステリ小説を読んだり映画を見てる感覚に近い。それはシーンの繋ぎ方や、物語の構成などにも言えることだけど、特に印象的なのがモノローグがほとんど入らないということ。
この漫画の主人公は一見するとテンマ、ニナ、ヨハンなんだけど、この3人についてはほとんど心情説明(モノローグ)が入らない3人称のような形で描かれている。むしろ準主人公であるルンゲ、グリマー、エヴァのほうが雄弁に感情を表現している。でも彼ら準主人公についても3人称の視点はほぼ崩れず、逆に1話にしか登場しないような、脇役の心情をメインに描く「脇役=主人公」の短編の積み重ねによって1つの大きな物語に包括されているような気がする。そのような通りすがりの人によって、テンマやニナの人柄が肉付けされ、ヨハンの得体の知れなさが増していく。
例えば4巻の8章「五杯目の砂糖」ではニナ(アンナ)が射撃の訓練をしている時期のことが描かれている。私はこの話がすごく好きなんだけど、この「もと殺し屋」であるロッソを主人公に一本映画がとれてしまいそうだ。
他にもたくさんの、その先を見たくなるようなエピソードがちりばめられていて、それが浦沢直樹作品の素晴らしい点でもあり、私が「MONSTER」にのめり込めない原因でもあるような気がする。つまり、「MONSTER」にではなく、1つ1つのエピソードにのめり込んで(感情移入して)しまうから、なんだろうな。(そして20世紀少年PLUTOも基本的な構成はMONSTERと同じだと思う)
そんなふうに、その話の大きな筋よりも、物語の進む過程に出てくる様々な人、一人一人の脇役にも人生がある、ということを描いたところが「MONSTER」は素晴らしい、と思います。

この先が思い付かない……でも、ハッピーエンドにしたいんだ
(14巻7章「楽しい思い出」

もしかして、浦沢先生もそう思いながら書き終えたのかなと思ったりした。
途中、誰の中にも怪物はいて、ニナとテンマは怪物と紙一重の存在である、という結末に結びつきそうな展開だったけれど、その怪物を克服できるかどうか、という点について明確に描かなかったのはだからなんじゃないかなって。

Monster (18) (ビッグコミックス)

Monster (18) (ビッグコミックス)