いろんなひとの、いろんなじんせい

この前「ひかりのまち」の感想を書いた時に、私は、いろんな人の、繋がっているようて繋がっていないようで繋がっている風景を描いた話がとても好きだということを再確認したのだけど、今日ふと思いだしたのが保坂和志さんの「残響」のこと。
残響 (中公文庫)
この本は「残響」と「コーリング」の2つの対となった中編により構成されていて、私が保坂さんの作品を好きになった切欠の一冊。登場人物たちの思考の流れの中に漂いながら、彼らのいる場所は、私のいる「ここ」とも繋がっているのだということを感じさせてくれる作品だった。
そしてその「ここ」とも繋がっている感じが、私がこういうお話を好きな理由でもあるのだと思った。
棒がいっぽん (Mag comics)
その「繋がる感じ」をビジュアルで思い描こうとすると、ぴったりなのが、高野文子さんの「奥村さんのお茄子」。あのデッキに、あぶらひいて、うどん載せて、ぎゅーっとして、うどん3センチの時間のなかで、いろんな人がいろんなことしてるの。なんかそれって奇蹟みたいじゃんか、と思った感動は何回読み返しても薄れない。
この2冊についてはこんどまたゆっくりあつくるしい感想を描いてみたいのですが、とりあえず今日からは、あの「東京は朝の7時」みたいな話、と言いたい時、これからは「うどん3センチ」って言おうと思って。