でも自分が評価されることはこわい

しつこいけどもうひとつ。(こういうしつこさが音楽語りたがりってことだと思う)
上に上げた記事から知った【iTunesで自分の音楽センスを見せつける】という記事のほうで知った記事なのだけど、

『iTunes』のプレイリスト共有機能で問われる音楽センス
プレイリスティズムは、人種や性別、宗教ではなく、iTunesの音楽ライブラリー(写真)で露呈した音楽の趣味の悪さを基準に差別することだ、とオーブリーさんは説明する。
iTunesの音楽ライブラリーからは、着ている服や持ち歩いている本を見るよりもその人についてはるかに多くのことがわかるとオーブリーさんは話す。
「Tシャツと、本と、髪型を見るようなものだ。その人のすべてに等しい」とオーブリーさん。

この記事については、そんなことないだろオーブリーさん、と思う。その人の音楽リストをみて「その人のすべてに等しい」って。そんな訳ないじゃないか、だって世の中にはそんなに音楽好きじゃないけどiTunes使ってるよ、という人だっているんだし。こういうことを言う人がいるから、

職場に広がる「音楽プレイリスト不安症」--米研究者が発表
この研究グループによると、社内ネットワークで音楽プレイリストを共有する行為は、オスのクジャクが羽を広げるようなものであり、ユーザーは新車を買ったり携帯電話を見せびらかすのと同じように、他人に公開する曲によって自分のイメージを積極的に作り出そうとしているという。

こういう人、つまりカテゴライズされることを不安がる人を生むんだろうなと思う。私だってそんなの嫌だし怖い。
でも、こういうのは人と直接面と向かって(顔色を伺いながら)接しているときにはあまり気にしなくてすむことのような気がする。「えーと、この曲を好きなのにはこういう理由があってね」というような解説を差し挟むチャンスが与えられないかもしれないから、削除したりして工作するんだと思う。
できれば、そういう工作しないでも自由に好きなものは好きって言う方向でいきたい。でも、そんなこと言いつつ、私にもちょっと後悔している思い出がある。それがこの長い文の最初に書いた思いだしたことで、私がレコード店で働いていた頃の話。
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レコードとかCD売ってれば、たまにはミュージシャンもお客さんで来てくれたりする。そのお店にたまに来てくれる人の中に、甲本ヒロトさんがいた。ヒロトと言えば、そりゃ私にとってのロックンロールヒーローの1人な訳です。お店に来てくれたらさ、そりゃ「あ、ヒロトさんですよね」とかわかりきったことを言ってみたかったりもする訳です。でもね、ヒロトがご来店の時に限って、私はとてもそんなことを言い出せないような曲をかけてたりしたんです。激しく後悔してあわてて曲を変えようとするけれど、その頃にはもう帰っちゃってたりして。一度ならずも二度三度。
敢えて挙げてみると、その中の一曲はかつてヒットしたヴァニラ・アイスの「アイスアイスベイビー」とか言ってる曲だった。「UNDER PRESSURE」(QueenDavid Bowie)サンプリングしてたやつ。まだお客さんも少ない平日の午前中ですから、「うわ!これ!懐かしいー」とかいいながらそういう過去のヒットソングをかけたりもするわけです。でもさ、ヒロトはきっとヴァニラ・アイスは好きじゃないよ。そのくらいはわかるよ。私だってそんなに「アイスアイスベイビー」が聴きたいわけじゃなかったんだよ。でも「これ懐かしくてかけてただけなんです」なんてヒロトに向かって言えない。というよりヒロトはこの店でかかってる曲なんか聴いてないかもしれないし。でも「だせえ店だな」って思われたくないし「この曲かけてんのはあの店員か!」とか思われたくない。
そういう葛藤を避ける為にも、みんな工作するんだろうなと思う。私はiTunes共有とかしてないからそんなこと気にせずにいろんな曲入れてるけど。
でもこういうことは総てリアルの自分自身に影響することだから神経質になるんだろうなとも思う。