「家守綺譚」/梨木香歩

家守綺譚

家守綺譚

読みたいなぁと思っていたところに、運良く頂くことができたこの「家守綺譚」、とても楽しくて、1日で読み終えてしまいました。
題名からして、漠然と「りかさん」のような感じなのかなと思っていたのですが、どっこい、まあ確かに近いぶぶんはあれど、中扉の裏に「左は学士綿貫征四郎の著述せしもの」と記してあるとおり、今までの梨木さんの文体とはすっかり印象の違うものになっていました。それでいて、植物やいろんな生き物への細やかな目線はやはり梨木さんらしいと思う。
物語はサルスベリの季節からまたサルスベリの季節までの1年間を描いたもの。作家である主人公が、湖で亡くなった友人高堂の実家の守をすることになるところから始まる。そして、その家に暮らしながら、各章に植物の名前が付けられた物語が進んで行きます。
冒頭から亡くなった友人高堂が掛け軸から現われ、そこからは次々と不可思議な出来事が起こるのですが、綿貫がそれらを受け入れて行くにつれ、季節と文章がしっくり馴染んで行くような気がしました。といっても、綿貫さんはわりとすんなり状況に馴染んでしまうのですが、その感じが、「陰陽師」での安倍清明源博雅の関係のようだなと思う。(イメージしているのは漫画版ですが)

信仰というものは人の心の深みに埋めておくもので、それでこそああやって切々と美しく浮かび上がってくるものなのだ。もちろん、風雪に打たれ、耐え忍んで鍛え抜かれる信仰もあろうが、これは、こういう形なのだ。(中略)表に掘り出しても、好奇の目で見られるだけであろうよ、それでは、その一番大事な純粋の部分が危うくなるだけではないのか、と。
《p54「木槿」より》

この言葉が、今の気分にとてもしっくりきた。表に出さず大事にしているものっていうのは、誰の心にもあるんじゃないだろうか。信仰以外でもいえることで、他人のそういう部分を尊重することっていうのが大事だと思うなんてことを昨日思ったんだった。思ったのはこういうことだったんだ、と思った。
たんたんとした物語ながら、「セツブンソウ」の章から、ゆるやかに物語の収束へと向い、一冊の本としてあざやかにまとまっている。とても良い作品でした。
私の家のサルスベリも、咲いています。