Sigur Ros/Takk....

Takk…

Takk…

Sigur Rosの音楽を聴くと、いつも賛美歌のようだなと思う。
言葉で語ることなく、音や、その展開で、感情を浮き彫りにするような、声にならない声のような音楽。
始めてSigur Rosの名前を聴いたのは第1回の富士急サマーソニックの前だったと思う。BJORKの前座に出ているアイスランドのバンドだ、と聴いて、あぁ、妖精っぽい、Suger Cubesみたいな、そんな感じなんだろうなと決めつけていたのを覚えている。そして、その前評判に私はあまり興味がもてず、だからサマーソニックでも、会場の外でぼんやりおしゃべりかなんかしてた。そして、会場からもれ聞こえる音に気付いてやっと、なんて惜しいことをしたんだ、と後悔したのだった。慌てて会場に入ってみると、埃の舞うせまくて暗い小屋の中で、あの賛美歌のような歌はあっという間に掻き消えてしまった。Sigur Rosの音楽を聴く度に、ちょっとその時の後悔を思いだす。
ただ、アルバムが枚数を重ねる度に聴き続けてはいても、何故か大好きだ、とはいいにくいバンドだった。その理由はたぶん、彼らの歌詞が(主に)意味をもたないものであることに対する違和感だと思う。彼らが楽曲に使用する"Hopelandic"という言語(最近になってアイスランド語と英語を混合したものだと知ったけど、1stの頃は完全に造語だと思っていた)についても、なぜ彼らがわざわざそれを使おうとするのか、歌詞の意味を重要視しないのか。意味を持たないのと、意味をもたせないようにすることは、全く違うじゃないかと思っていたりした。
でも、本当は、別に明白な言葉なんてなくたって、音が映し出す何かを、聴くものが感じ取れればそれで充分なんだということは嫌というほどわかっているのだ。つまりは、それを、意図的にやらされることに違和感を感じていたという、なんとも素直じゃないリスナーなのだけど。
でもやっぱり、彼らの音楽を聴けば、見えてくる景色があって、私はそれをとても大事にしていたりするのだ。全ての曲があまりにも美しく、そのことに若干歯痒さを覚えつつも、白昼夢の残像にどっぷりつかって、その景色を誰かに見せてみたい、と思ったりする。
そして私にとって、今回の「Takk...」は、以前のアルバムより、ずっと日向の音楽になったのではないかなという印象だけれど、素晴らしく好みな音楽であることはかわりない。誰も乗っていない電車の中で、夕暮れの町並みが流れていく感じ。足もとをかすめる影と、目を閉じても感じられるような太陽の暖かさとか。
#7、#9,#11が特に気に入っていて、ヘッドフォンを被って聴きたくなる。MOGWAI「ROCK ACTION」を聞いている時と、すごく近い感じ。