あらしのよるに

監督:杉井ギサブロー 作画監督:江口摩吏介 原作:きむらゆういち
映画「あらしのよるに」の試写会に招待していただいたので、見に行ってきました。
あらしのよるに」は絵本の方も読んだことがあるのですが、最近出た最新巻(完結編?)はまだ読んでないです。でも前日譚のような形なのかなと思っていたので(それも「しろいやみのはてで」という本になっているみたいです)、人から後日譚だよと聞いてびっくりしてます。

映画での原作とはかけ離れた画像を見て、まず思ったのはこの映画のターゲットはどこらへんを意識しているんだろう、ということでした。でも実際見てみて、子ども向けの絵柄で、親の世代を含めた女性向けなストーリーはそのまま、という感じだったので、たぶんこの作品の映画化としては正しい形なのかもしれないです。
原作が7巻(新巻含め)に分かれていることもあり、脚本は山場の連続で少々早足にも感じましたが、これも子どもが集中してみるには丁度良いのかもしれません。実際会場にきていた子どもたちは笑ったりないたり疑問を叫んだりしてたし。
ただ、新刊「まんげつのよるに」でのエピソードだと思われる部分はちょっとあっさりし過ぎていてもったいないかなと思いました。
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で、ですね、たぶんこれは原作を読んだ人の半分くらいは感じていることかもしれませんが、あのガブとメイの関係性のなんというか過剰なピュアさというのが、映画ではより一層強調されていたような気もします。
チラシに石田衣良さんのコメントとして「世界のあちこちでテロが頻発する現在、地球にも「あらし」が必要だと思ったのはぼくだけだろうか」とあるのですが、その言葉の意図するところのように、このオオカミとヤギの間に友情が生まれるというストーリーを「敵味方が手を取り合う」という構図に見るのはちょっと無理がある気がする。この話で描かれるオオカミは圧倒的強者であり、その食欲を我慢するということで友情の証とするのに対して、ヤギのほうでは、オオカミに対する憎しみみたいなものが、ほとんど感じられない。それがまず不思議。たぶんそこを補強するためにあの冒頭のエピソードを持ってきたのだとは思うけど、その感情はどうやって克服されたんでしょうか。なんて、まあ敵味方でもお互いに似てるところがあるはずってことなのかもしれないけどそこはこの話のメインには思えないし…。(そのそも映画の煽り文句って、大概においてその映画の本質を言ってないことがおおくて、だったらいいのになな感じなのはなんでなんだろう。なぜならそれは宣伝文句だから。そうか)
そして、「友情に命をかける」というところまでは理解できても「二人が一緒にいるために命をかける」というのはちょっと別物な気もします。中盤の山場でもある「どしゃぶりのひに」のエピソードはまるでロミオとジュリエットみたいだし、あー韓国ドラマとか好きな人が好きそうなメロドラマだなぁと思ってみてしまうのですが、これはあれですよね、恋愛ものではなくて友情ものであるというところであのピュア炸裂なわけですよね。でも友達って「ずっと一緒にいられるんですね。うふふ」「どきどきするぜ」みたいなやりとりするだろうか、いや、しない。というような自問自答が頭の中を渦巻いていて、自分がよっぽど淀んだ人間のようにも思えたのですが、その辺はきっと意図的な演出なんだと思います。
だって、ガブ役の中村獅童さんはともかく、メイの成宮さんは、所謂女性的な声の出し方をしているし…、というのはおいといて、かなりうまかったです。個人的にはメイのおばあちゃん役の市原悦子さんが話しだして「ぼうやー」と思ったのが条件反射だなと思いました。
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たぶん、この話を男女で設定したのが同じ作者の「うさぎのおいしい食べ方」(ISBN:4062118432)なんじゃないかと思います。こっちは結構ブラックユーモアだったような。