宗教と共存の話

ishmaelさんのところ(http://d.hatena.ne.jp/./ishmael/20051206/1133887896)で興味深い記事を見つけた。以下の引用にリンクするけれど、「日本人の宗教嫌い」と題した文章で、日本人の多くが、普遍的な考え方として身に付けているものの多くが、実は宗教によって語られているものだったりする、という話。
でも、その話よりもむしろ、最後のまとめ(以下の引用部分)における主張に共感した。

現代まで生き残ったまっとうな宗教はそれなりにいい事を言っている。だから 宗教の言うことに耳を傾けてほしい。少なくとも、何を言っているのか知らな いままで否定してほしくはない。
http://iwatam-server.dyndns.org/column/47/index.html

それがオウム以降なのかどうかは分からないけれど、現代の日本で「宗教」というものに対し嫌悪感を示す人が多いのは事実だと思う。
しかしそれがカルトと同一視されているから嫌悪される、とは一概に言えない気がする。例えばキリスト教にしても、あの玄関先までやってきて冊子を配っていくタイプのものと、カトリックプロテスタントを同一視している人は多いのではないだろうか。イスラム教にしても、あのテロ事件以降、盲目的に毛嫌いしはじめた人は多いだろう。日本人に割と受け入れられている宗教といえば仏教かもしれないけれど、宗派ごとの教えの違いを把握している人が多いとは思えない。(私もよくわからない)
要は、馴染みがあるかどうかということと、とらえどころのないものを信仰するという行動への反発と宗教の集団性への嫌悪感とか、そういう漠然とした印象から「日本人の宗教嫌い」が生まれているんじゃないかなと感じる。さらに言えば、現代の日本における熱心な宗教の「信者」という存在が、マイノリティに属するがゆえに差別的な感情が生まれるのではないかな、とも思うのだ。
でも、何かを信仰するということは、基本的には悪いことではないはずだ。特に、その宗教を生活の基盤として多くの人が信仰しているような宗教には、それぞれ学ぶべきところがあると思う。
私は、幼い頃日曜学校に通っていたのと、親戚に牧師さんがいるので、どうしてもキリスト教に偏った意見になってしまうけれど、その上で極論を言うと、殆どの宗教が教えているのは「神を畏れる」ということなんじゃないかと思う。簡単に言えば、悪いことをすれば神からの罰があるはずだ、だから良いことをしよう。功徳を詰め、汝の隣人を愛せ。ということなんじゃないか。そして、その成り立ちに説得性を持たせるものが宗教なのではないかと思うのだけど、やはりこれはあまりにも極端な意見かもしれない。ちょっと自信が無い。
ただ、そのような社会生活における規範ともいえるようなものが宗教の一端でもあるわけで、目に見えないものや人外の力を畏れる、という意識は罪を犯すことへの抑制としては非常に有効だと思う。日本の昔話にあるような「山を汚せば山の神様が怒る」というのもそれとおんなじことなんじゃないかなぁ。
それと同時に、そのような規範や成り立ちについての争いから、宗教というものが戦争の原因になってしまうこともある。信仰の由縁とはそれぞれの個人的な「宗教的体験」に拠るところが大きく、だからこそ他の宗教の信者と一朝一夕に相容れることが困難なのだろう。特に、宗教への熱情そのものを理解できない、例えば特定の宗教を信仰していない多くの日本人などは、ただ宗教というものをひとくくりに恐ろしく感じてしまうのかもしれない。
ただ、これだけ多くの人と出会う機会のある現代では相容れない人とも共存していかなければならない場面は多々ある。そこらへんは、もうちょっと寛容に、他者が信仰するものに対しても理解を示すべきじゃないの、と思うけど、なかなかそんな甘い意見は通用しない。
しかしだからこそ、その理解の素地として宗教を学ぶことには意義があると思う。
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そして、上記のサイトでもう1つ興味深いコラムがあって、そこにはカルトとされる宗教についてこのように書かれていた。

カル トとは、ある教えを自分なりに解釈せず、人が言ったことをそっくりそのまま正 しいものと受け取ってしまうことだ。
http://iwatam-server.dyndns.org/column/50/index.html

私はカルト宗教の定義については不勉強なので把握していないのだけど、これに付け加えて、個人的に信用すべきでない宗教というのは特定の「個人」を信仰するようなものだと思う。生きている人間と言っても良い。
例えばキング牧師が素晴らしい人だからといって、キング牧師を信仰するのはおかしい、ということだ。そして宗教が生きている人間の利害を伴って利用されることで様々な争いが起きるのではないかとも思う。
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でも結局、何故私がそう思うのかと言えば、人類は平等であるべきだという、どこで身に付けたかわからない言葉を信仰しているとも言えるのだけど。