終わり方

久々にアンテナチェックしてみたら、なくなっているサイトがあって驚いた、という話を昨日の夕方、遅めの昼ご飯食べながら書いたんですけど、それに対してmichiakiさんから反応をいただいたので、もうちょっと書いてみたくなった。

私にとって定期的に見てるサイト(ブログもHPもごっちゃにして書きますが)というのは、アンテナに入れさせてもらってるところとRSSとあとブラウザのブクマと、全部あわせたらかなりの量になるわけで、もちろん全ての更新を追えていないサイトもあるんですが、どこもなくなってしまったらさみしいことに変わりはないです。
ただ、そのサイトがなくなってしまった時の驚きというのには幾つか種類があって、私にとって、それは終わり方というよりも、そこがどんなところだったかによる。例えば、サイトによって、それを書いているのがどんな人か、見えるようなとこと見えにくいとこと全然見えないとこというのがあって、人柄が見えてる(ような気がする)場所ほど、ショックは大きいように感じる。
そして何故ショックなのかと言うと、それは、そのサイトでの文章を人格として捉えていて、その人にもう会えないんだー、ということがさみしいからなんだと思います。うん。これはもちろんリアルで対面したこともなく、職業として文章を書いてる方でもない人に限る話ですけど。もう、その人の文章にたどりつく道が断たれたというのが、単純にさみしい。特に更新停止ではなくて全記事削除のような場合には。
そんなにショックなら、閲覧できてる間に伝えとくべきことがあるのではというmichiakiさんの言葉もよくわかる気がするし、無くなってしまった後にだらだらとこんな文章を書いてる自分も鬱陶しいんですけど、
私は、もともと自分でこんな日記とか書くよりもただ見てた期間の方がながいので、なかなかそんな発想が湧きにくいというのと、コメントとかメールとかってなんとなくその「中の人」に向けてるような感覚なので、なんというか、そのサイトに人柄が見えている(ような気がする)サイトでも、その文章と「中の人」の間には意図的に距離を置いているだろうなと思われるところもあって(ネタ的な更新が多いところとか)、そういう場合には、自分から何かを訴えかけようという発想が(ほぼ)湧きません。
その感じは、映画の登場人物が好きでも、その俳優さんとは別人だと分かっている感じに似てるかもしれない。エッセイと小説の違いというか。
そして、そういうサイトに対しては、アンテナ入れたりブクマしたりするくらいが精一杯です。自分がプライベートなことばかり書いているので、温度差を感じるというのもあります。
でも、こうして終わってしまった後に、しみじみと中の人の存在を思い知って、またどこかで何か書いてくれたらいいなぁ、と思ったりしてるのも事実なんですよね。
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ただ、そこが無くなってしまうこということで、やっぱり一番ショックなのは、自分となんらかの関わりがあったサイトであって、blogみたいに簡単に何かを伝えられる手段がある場所では、特に、それを利用しなかったことに後悔するような気もします。なので利用できるうちにしておいたほうがいいなとも思いました。
最後に本題に戻って、私がここを終わらせるときのことを考えてみると、やっぱり「終わります」と書くだろうなと思います。対外的にということじゃなく、個人的な場所だからこそ、最後には「ちゃんちゃん」でも「どっとはらい」でもいいけど、何らかの言葉で自分と切り離して終わりたいような気がする。
それは以前更新停止するつもりもなくフェイドアウトして終わらせてしまった場所があって、それがちょっと後味悪かったからなのですが、とりあえずこの日記についてはまだ書くのが楽しい状態なので、当分続けると思います。