ディア・ウェンディ

dear wendy
監督:トマス・ヴィンターベア
脚本:ラース・フォン・トリアー

予告編が格好良くて、ラース・フォン・トリアーが脚本だけど監督はしてないというのにも興味をそそられたので、見に行ってきました。素晴らしく好みの作品だった。
アメリカの小さな炭坑町に育った主人公ディックはある日おもちゃの拳銃に出会う。やがてその拳銃が本物の銃であることを知った時から、それは「ウェンディ」という名をもつ最愛の存在となる。それは彼にとって精神的な支えであるとともに「本当の自分」であるために必要不可欠なものなのだ。やがて、そのような支えを必要とする者たちで「ダンディーズ」が結成される。
彼らが組織する「ダンディーズ」は地下のアジトに籠り、射撃の練習をして、西部劇風の衣装を身にまとい、それを持つことで自分を律し銃を兵器として使用しないという誇りのもとに平和主義を主張する。町では「負け犬」と看做されていた彼らも、それぞれのパートナーとして銃を身に付けることで次第に自信を持つようになる。
ただ、そんな彼らの様子は、その切実さとは裏腹に芝居じみた、子供っぽいものに感じられる。私自身も、どうしても冷めた目線で見てしまうな、と思っていたのに、物語が終盤に進むにつれ、彼らのパートナーに対する信仰心のようなものが理解出来るようになっていた。物語は、ディックがウェンディに対する別れの手紙を綴っているところから、回想のような形ではじまるのだけど、実際にそのシーンに辿り着く頃には、ダンディーズの中の異物であるセバスチャンと同じように「お前らイカれてる」と感じつつも、ウェンディを一つの人格として捉えてしまう。

「親愛なるウェンディ。永遠に君に忠実なディック“ダンディライオン”」

その言葉はもう、まるでメロドラマだ。そしてラストシーン、それまでただの小さな広場に見えていた場所が、突如として別の風景として目の前に立ち上がる。*1しかし、ダンディーズ以外の人々にとっては、相変わらずの、ただの広場だったんだろう。ウェンディがただの拳銃であるのと同じように。
そして私は、どちらが当たり前とか正しいとかそういうことではなくて、それが非常に危ういことだと解っていても、ディックの美意識が達成されて欲しいと思った。
この映画はアメリカの銃社会に対する皮肉ととられているようだけど、銃をもつことで強くなるなんて錯覚だとかそういう教訓めいたお話ではない。それよりはウェンディ原理主義者とウェンディを拳銃としかとらえられない他者との齟齬が引き起こした悲劇という方が、私は好みだ。そういう意味で、プラトニック・ラブって原理主義と似てるよなとかそんなことも思う。
好きな映画です。
 *
主演のは「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベル。このディックという役柄は「青の炎」の主人公にちょっと雰囲気が近いかも。それから挿入歌がゾンビーズというのも良いです。主題は「ふたりのシーズン」なんだけど「インディケーション」とか「エミリーにバラを」とか、久々に聞いた。エンドロールは「this will be our year」かなと思ったけどそれはなかった。

*1:『ドックヴィル』は見ていないんだけど、たぶん似たアプローチなのではないかと思う。