神がサイコロを振るということ

今日も残業してたんだけど、「神はサイコロを振らない」に間に合うように22時半ぎりぎりに帰宅。
毎回いろいろ思うところの多いドラマで、ちょっと参る。いや、とても面白いのだけど、やっぱり、いなくなってしまった人が、戻ってくる、と空想することは、とても怖い。別に重なるような体験があるわけではないけど、もしそれが起きたなら、自分はどうするだろう、なんて考えはじめるととまらない。
ドラマでの設定は、相手側の時間は止まっているわけだ。そして、自分は10年ぶんの時間を「余分に」もっている。
たとえば主人公の立場だったとして、いなくなってしまったはずの恋人が10年前のままの姿で戻ってきたら、私はどうするんだろう。
それは、前に書いた*1疑問にも少し重なるのだけど、個人間の感情っていうのは、記憶とかそういうものに支えられてる部分が大きい。これは否めないような気がする。でも、同時に「ここ」から始まるものもある。今の自分がどう思っているのか、相手はどう思っているように見えるか。その思いのきっかけはほんと些細なことかもしれない。でも、勘違いに思えるようなことも、言葉を全部とっぱらったら、重要な要素なんじゃないかと思ったりする。(でもその場合の言葉ってどこまでのことなんだろう?)
神はサイコロを振らない」というのはアインシュタインの言葉で、いくつかその意味について書いてある文章を読んだりもした。でもよくわからないのが、偶然と必然は、どう違うのか? ということだ。それは予見できるかできないか、ということなのだろうか? だとしたら、どちらが偶然で、どちらが必然なんだろう。
ドラマで結末を見てしまう前に、もうちょっと考えたい。

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