私が「私」にできることは、例えばこんな感じ

『勝てば官軍』ってことのほんとうの意味はね、勝ったから官軍になったってことが完璧に忘れ去られて、その勝利をみんなが心から喜んでくれるようになるってことなんだ
『翔太と猫のインサイトの夏休み』/永井均

という一文を読んだとき*1に、私は「道徳というものは、その時大多数の人によって信じられている良いことに過ぎない」ということなんじゃないかと理解した。
それは、いまある道徳が完全に覆される、という可能性を指しているというよりは、大多数の「良いこと」の為に、黙認されているものが、あるはずだ、という方向を指し示しているような気がする。
でも、なんというかですね、私と「私」、社会と「社会」って別物なんじゃないかなと思うのです。「 」つきのものを、また外側から見ている括弧なしの本体がいるような感じといえばいいんでしょうか。
例えば私は「私」をわりと居心地良く、進めてきたいなぁと思って毎日過ごしているわけですが、まあなかなかうまくいかないこともあったり、予想外の嬉しいこともあったりして、生活しています。そして「私」が育っていく。でも「私」にとっての良さを目指すがゆえに、見てみぬふりしてる部分もたくさんある。
そして社会ってのは、例えば、おなかをすかしてる人がいる。その人が私の身近に居たならば、私は何かごちそうしてあげることもできる。それを「知った」なら。でも外国でお腹すかしてる子がいる。それを知っても、私にできるのはせいぜい募金するくらいのものです。そこまで行って、何かしてあげたいと思う気持ち、がゼロだとは言わないけれど、ゼロじゃないと言っても偽善のようだと思う。私は「私」の生活を優先してしまっている。そのあたりの罪悪感については、見てみぬふりをしてる部分がとても大きい。

その手の届く範囲が社会であり、その集合体が「社会」なのではないかと、漠然と考えています。
でも、その社会のルールは、ほんとに多様で、ひとりひとりの「私」に良いようには出来ていないことが多い、と思う。でも私くらいは「私」の良いことを、考えてあげてもいいんじゃないかと思うんですよね。でもそれには「私」が属している社会のことも、考えなきゃいけない。だって「私」は私だけがもってるものじゃなくて、みんなに「私」がいるんだし。そうやって、倫理や道徳が形作られてくのじゃないかなと、思います。でも私と社会は明らかにイコールじゃない。

って、そんな机上の空論ばかりいじってても何の役にも立たないかもしれませんが、役に立たなくても、考えたい、と思っているということが、私にとっての「いいこと」なんだと感じてます。そしてその「いいこと」が見えている状況っていうのは、とても幸せだと思うんですよね。

何か回りくどくなってしまいましたが、

やりたいコトがない人は生きるべきではない、では強すぎだけど。
やりたいコトがない人は生きなくてもいい、では弱い。
http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20060304#1141453857

というmichiakiさんの文章について考えてたのですが、これは「やりたいコトがない人は生きるべきではない、では強すぎだから、やりたいコトがあるということの大切さを認識できるといいよねー」くらいが、自分にはちょうどいい気がする。ちょっときれい事すぎるけど。
「無理して生きなくていいんじゃない?」という問いかけに「だよね」と言ってしまえなくて、なんか問題あるような気がするのは、「無理して生きたくない」と思って欲しくない誰かがいるからなんじゃないかな、と思います。生きててほしい人がいるから、生きてる。それって幸せだと思います。
でも、前に「なぜ自殺をしてはいけないのか?」というmichiakiさんの質問に答えた時(id:ichinics:20051015:p2)、「じゃあ社会に属してない人、無人島に暮らしてる人とかには?」というところで私の考えはとまってしまった。プライドに訴えかけるしかないんじゃないか…なんてことを書いた気がするんですけど、それはつまり上記の「やりたいコト」はほんとに何もないのか、考えてみて、と言いたいということだったんだと思います。今なくても先にはあるかもしんない。義務ではなくて、私が「私」を生かすことを選択している、という感覚はとても心強いものだと思います。それは事実そうだ、というよりは、上記の「プライド」に近いと思う。いまある社会に属せない、と感じても、目的や興味や欲望があるということは生に繋がる。(ここで何をするのも個人の自由だ、と言ってしまうのが危険、と感じるなら、それは「社会」を想定してるからだと思います)
で、その質問を取り上げていただいた時の一文が私はとても気に入っているのですけど。

どう考えたって、世界には、一生かけてもアクセスしきれるはずもないほど大量の(美しい・よい・素敵な・面白い・不思議な・おいしい・カッコイイ、あるいは、そうでもない)モノゴトがあるれてる。ビョーキとかにならない限り、世界は「終生、楽しさ保証つき」にしか、わたしには思えないのです。
http://d.hatena.ne.jp/./michiaki/20051016#1129399528

私は、死ぬことを選ぶ自由はある、と思ってたい。自殺するとかじゃなくて、なんというか、終わりがあるからこそ、大事にできることもあると思う。不老不死の薬とかあっても、私は飲みたくないです。
ただ、ここにいることを面白いと思えること、もしくは思えるかもしれないという希望が生きてる理由になるなら、それは素敵なことだなと思うのです。
そして、それを喜んでくれる社会にいられるのなら、それも素敵なことだと思う。

長くてまとまってないくせに、ちょっと弱い気がするのですが、今日のところはこんな感じです。

*1:id:ichinics:20050524:p1