そっちからはどうみえますか?

いま考え中のこと。
哲学の本とかを読んでいて、たまにわからなくなるのが「世界」ってなんだ? ということだったりする。私がいて、世界がある。うん、あるな。たぶんある。
でもその世界って地球でも宇宙でもないんだよな、たぶん、と思う。ひとがいるところ、は、すなわち、やっぱり社会かなと思う。私がそこに属してるにしろしてないにしろ。で、社会にいるとき、は、なんというか、本番で、参加している。重力がある。見られる側だ。私も「私」を見る側だけど、その「私」の像が分裂してるようなかんじ。
それを含めたぜんぶ、が世界なのかもしれないけど、じゃあ、それってなんだっていったら、やっぱり自分じゃないのかなと思う。どうかな。
私は、世界をどのように見るかという一つの目であって、その目を通して、「私」は何かを思う。私は「私」の目から出ていけない。見える(物理的にではなく)ものすべてが世界の輪郭であって、最後は自分の目を覗き込んでいるような気すらする。だって私はそこに写るものしか知らない。
ただ、私は、誰かも同じように、何かを見ているということを知っている。
だから私は、そっちからはどうみえますか? と訊きたいんだと思う。
前に書いた「X」の話がしたい(id:ichinics:20060228:p3)ということは、つまり、その私の目じゃないとこから見えるそれを、想像したいということなんだと思う。本やネットで文章を読んだり、映画を見たり、音楽をきくのは、私にとって、そういうことなんだけど、人と会話をするときに、それをするのは結構難しかったりもして、でもあきらめたくない気持ちもあったりとか、するわけです。
でも、そうやって、私から見えるもの、に新しい角度をもらったりすることで私の世界の輪郭は広がっていくというか、って、もしかしてそれを「世界が広がる」とかいうのかな。ああ、なるほど。うーん?