ビシッと終わった

ここには私が考えたことを書いたりしているけど、これは「私」であって私じゃない、私の「私」つまり一部で更新されてく、というのは何もここのことだけではないけど、でも私がたくさんの言葉を繋げるたびに、どんどん部屋は広くなっていって「私」が遠くなってくような気もする、でもたまに焦点があう。
なんてことを繰り返し、書きながら考えたりしてるけど、それがどういうことなのか、私にはまだよくわからない。私にはたいていのことがわかっていない。
でもそうだ、それを言葉として思いついたきっかけは、たぶんこっちを読んだのが先だった、ということに今日になってから気付いた。例えばつい最近の、「世界についての新しい情報」という言葉だ。ああそうか、世界はきみですか。ということは私の世界は私なのか。と。
その読み方が正しいのかどうかはわからないけれど、そうやっていろんなものを吸収して変換して、私はいるし、そんなことより、私はあの文章が好きだったなぁ、というそのことを考えながら、今日は一人きりで会社のパソコンで、仕事しながら、ときどきだけど、言葉が消えていく様を見ていた。
そこにあるものを好きだということは、それが誰によるものかに拠らず、好きなものが好きだというのは、それを自分の世界に映してるときの見え方なのかもしれない。これもまだわからないけど、結論を出す必要はまだない。いつかあるのかもわからない。そんなことを考えることに意味があるのかもわからないけど「意味」なんてそもそもあるのか。なくてもいいと私は思う。
あー、違う、そんな話ではなかった。
なんだろう、ながーい物語を読み終えた感じだ。ということもあそこにはちゃんと書いてあった。自分自身がアテになるんだってことも。
読めて良かった。
ってことを、今日は、どうしても書きたかったんだ。
* * *
ぎりぎりまで残されてた「負け犬」の歌詞の、あの「ビシッと」というときのはるさんの声がわたしは好きだ。
それから今日は『放浪者の軌道』を読んだ。それはなんだか今日の気分にぴったりだった。グレッグ・イーガンてすごい。