夢を見る夢を見る

「二〇〇二年のスロウ・ボート」の「僕」は小学生時代に「眠り続ける」という経験をしていて、夢日記をつけ、夢を分析している。

完璧な解釈がしたいと僕は思った。夢の。それは無意識世界へのアクセスであって、〈死〉を知ろうとする挑戦だった。p18

で、ここからは私の話なのだけど、私もけっこう長い間、夢日記をつけていた。枕元にノートを置いておいて、目覚めるなり「それ」を書き付けた。ただ、その目的は彼とは違っていて(実際、この彼の「動機」は私にはあまり理解できなかった。)「最初の夢」があったから、夢日記はあったのだった。
なんて風に書くと、あたまおかしい、とか思われるかもしれませんが、それはまあいいとして、結論から言うと、夢日記をつけるってのは、ちょっと精神衛生上よろしくないかもしれないと実感するに至ったんでした。
私はもともと、眠りが浅い。小さい頃から立ったまま突然寝たりしてたらしい。今でもたまにあるけど、もちろんそれは単に眠いからであってちょうど良い睡眠をとった日にはそんなことない。でも、ともかく、眠りが浅いということは、よく夢を見るってことでもあるみたいで(まあ「よく」とは言っても、統計とかないからわからないけど、周囲の人よりはよく見ているみたいだった)、夢の続きを見る、ということに成功したと思えることも、それが錯覚にせよ、わりと頻繁にあった。
そして、私の夢日記は、だいたい1年半くらいは続いたのだけど、そのうち夢を見ない日はないようになって、半年経ったくらいから、だんだんと夢の中でも夢を記憶しようとするようになってしまった。これはとても疲れる。
つまり夢の中に、視点が二つある/もしくは視点が二つあるように感じられる夢ばかり見る。それでも私はそれを続けていて、次第に夢の中でも夢を見ている夢をみることが増えた。ちょっと前に目が覚める夢を見たけど(id:ichinics:20051127:p2)これとはちょっと違ってて「それが夢であることを認識していながら、そこから出られない夢」をちょくちょく見るようになったのだ。これもすごく疲れる。
そんな訳で、私は夢日記をやめた。とにかく疲れるし、そもそも私がそれをつけはじめたのは、おおまかに言えば夢を楽しむためだったからだ、今でもここにたまに見た夢のはなしを書いたりしてるけど、それはやっぱり夢を見るのが面白いからで、でもなるべく起きてすぐにはメモしたりしないようにしてる。
前置きが長くなったけど、もう一度「二〇〇二年のスロウ・ボート」に戻る。
「僕」が出会う女の子の一人に、針が飛びまくるレコードのような話し方をする子がいる。この子のしゃべり方の感じが、夢から出られない夢にすごく似ていたんだった。なんというかね、視界が定められない感じ。すごい超特急の電車の窓から、過ぎ去ってく看板の文字を読むような、そんな感覚だった。
で、結局は、そんな夢の中でこの小説のような邂逅があったなら、どんなにかすてきだっただろうなぁという話ででした。言葉が通じるって大事だ。まあ、夢の中での話だけど。