文は短くなってません

お皿ひとつひとつに、それぞれ、ハムや卵や、パセリや、キャベツ、ほうれんそう、お台所に残って在るもの一切合切、いろとりどりに、美しく配合させて、手際よく並べて出すのであって、手数はいらず、経済だし、ちっとも、おいしくはないけれども、でも食卓は、ずいぶん賑やかになって、何だか、たいへん贅沢な御馳走のように見えるのだ。
ブログ文章術 米光一成|Excite エキサイト ブックス : 一文を短くって言うけどさ1

この文を短くする、という例題。ちょっと面白いと思ったのでやってみる。あ、ちなみに私は「短い文章」がいい、とは思いません。一文が長い文章がわりと好きです。自分でも、わざと文章切らないで書こうとしてるときのが多いです。ブログ文章術とかもあんまりあれです……。
【追記】この文章は太宰治「女生徒」よりの引用だそうです。読んだことあるのに意外と気づけないもんだ…。

普通に

まずこの文章だけだと何をしたいのかがわからないので、そこは無理矢理。

手っ取り早く、食卓を賑やかに、贅沢にしたいという時の裏技のひとつが、小皿に台所の余り物を「とりあえず並べてみる」というやり方だ。ハムやら卵やら、パセリ、キャベツ、ほうれんそうなどの野菜やら、とにかく小皿に盛り、彩り良く並べる。それだけで食卓はそれなりに豪華に見えるだろうし、そのうえ経済的である。もちろん、味の保証はしませんけどね。
参考例 → http://gourmet.yahoo.co.jp/seturl?mid=western&small=0202041&id=E122304&rno=1

小説風

ちょっと文章に特徴のある小説家の人の文章を思い浮かべて書いてみたけど、たぶん自分にしか伝わってないので誰だかは書かない。
その1(斉藤さんは困った人)

電話を切った和子が「どうしよう、斉藤さん、今からくるって」と言いながら、台所へと向かって中にあるものを手当たり次第取り出しはじめたので、私も、その鬼気迫る様子をただ見守っているだけという訳にもいかず、和子の取り出した、朝食の残り物――卵とハムの炒め物だった――やら、ほうれんそうの和え物やら、仕舞にはそのままのキャベツやパセリまでを小皿に盛る作業を手伝っていたのであって、いつのまにか彩り豊かになった食卓を見て「なんだかご馳走みたいだなぁ」とつぶやいていた頃にはすっかり目的を忘れていたのだったが、「しかも経済でしょ」「でもまずそうだな」などと互いを茶化しあっていた時、ちょうどタイミングよくドアチャイムが鳴り、こちらが扉を開くより先に顔を出した斉藤さんを見て、やはり斉藤さんは斉藤さんだと思ったのであった。

その2(七部作を想定している)

「まかせといて」とわたしは言う。なぜならわたしはそれを知っているから。
手数はいらず、経済で、ちっともおいしくはないけれど、そこを賑やかに、贅沢に感じさせる、そのやり方を。
そしてすぐさま、そこらにある食材を一切合切集める。彼に小皿を並べるよう指示する。ハムも卵もパセリもキャベツも、ホウレンソウ(それは流石にそのまま、というわけにもいかなかったけど、でもゆがいただけ!)も、等しく平等に、でも彼らがバッチリ「美しく」見えるように並べる。
もう一度言う。――ちっともおいしくはない。そんなのは前提。
でも食卓はまるで魔法でもかかったみたいに、いろどりよく賑やかに見えてる!

その3(参考文献/「煙か土か食い物」)

冷蔵庫にはおよそ三百万人の市民が住んでいるが、そいつらがどういうわけだか余り物になってそこを占拠しやがるから、台所にいる俺は馬車馬三頭分くらいハードに働いてそいつらを決められた小皿へ追いやる。チャッチャッチャッ一丁上がり。チャッチャッチャッもう一丁。やることもリズムもERの仕事に似ている。四郎の例えと食い違ってきたのでここは割愛するとして、ERと違うのはここにあるのが紛うこと無き食材であり、同時に調味料やらフライパンやら、そういったものが一切ない場所での食材であるということだ。従って俺は、こいつらを単に切り刻むことしかしない。チャッチャッチャッ。そして小皿に盛る。美しき食卓の一丁あがりだ。ヘイ、これって経済じゃないか?

絵本風(知育えほん、とか)

きょうはおかあさんのたんじょうび。
ぼくがごちそうをつくるんだ!
ハムと卵とパセリさん。ぴかぴかきれいなキャベツさん。
いつもはきらいなほうれんそう。きょうはなんだか食べられそう。
お皿をならべて、手ぎわよく!
あか あお きいろ にならべるよ。
かんたんだけど、ごちそうだ。
「おかあさーん」
「あらまあとってもおいしそう。それになんだかけいざいね」
パクパクむしゃむしゃモグモグ……
あんまりおいしくないけれど、ぼくがつくったごちそうだい!
おしまい

つかれてます。