それはただの気分

ずうっと沈んでいくことで、触ることのできる何かがある。そして、それが生み出すものの魅力を知ってしまうと、浮かび上がることが恐くなる。それが消えてしまいそうで。
でも「沈んでいる」ということはつまり、自分の中に重しを溜め込むということでもあり、その重しをずっと抱えているのは、案外、ではなく当然のごとく重い。そして私はばてた。
それでも、幾度かは確実に触れることができた「それ」が忘れられなくて、私はずっと、完全に浮かび上がれるわけでもなく、かといって沈む勇気もなく、ただふらふらとしていた。
でもついこの間、ふとした切欠で、そのやり方を思い出した。それは錯覚かもしれない。でも、本当にやりたいことなんてそれしかないんだから、いいじゃないかと思う。
嗜める人もいる。人は成長していかねばならない、という人もいる。誰かのために生きることを知れという人もいるし、大人になれという人もいる。
それらの言葉を前に、うん、と答えられたらと思う自分と、その言葉の意味わからないでいる相変わらずの自分がいる。
「さようなら、清らかで賢くてりっぱなみなさん」*1
ビアトリスの台詞が頭をぐるぐるしている。