「ルート350」/古川日出男

ルート350

ルート350

読んだ。面白かった。
古川日出男さんの新刊で、短編集、なのだけど、世界観には共通するところがある。世界観、というのはそれこそ「世界の見方」みたいな意味で、物語の中に入ると、どんどん視点が持ち上げられていくのがわかる。凧に乗せられて、風を孕んで舞い上がるみたいにして。
そして、それは古川さんの作品全体に共通する部分なのかもしれない。とりあえず、ここ最近に読んだ四作品についてはそう感じる。だから、昔読んだ時には、しっくりこなかった「アビシニアン」も、今読めば、おお、と思うところがあるのかもしれないし、あの公園での生活は今も私の中にある、という意味ではしっくりきていたのかもしれない。ともかく、読書というのはそのように、出会う時によって全く見えてくるものが違ったりするし、それが面白いところであるとも思う。
以下、特に印象に残った作品について覚え書き。

お前のことは忘れていないよバッハ

最初、少しのりにくいと思った。それはその語り口になじむための準備期間でもあって、古川日出男の文章、というものにある程度なれてきた今ではそれを了解して自分がのれるまで待つことができるけど、古川さんの作品が「人を選ぶだろう」とよくいわれる(いわれているのを目にするし、私もそう思う)のは、このイントロによるところも多いと思う。この短編については、その中で描かれる話はとても魅力的だった反面、外側の輪郭についての情報がなにもないのが、すこし気になった。なぜ彼女は今それを語ったのか。そこは含まれなくてよかったのかな。

カノン

ボーイ・ミーツ・ガールのお話といってしまったらあまりにもおざなりだけど、この話に詰め込まれている、様々な断片の気配が、面白いなと思う。レプリカであることと、本物であることの、表裏一体さというか、最近話題のマウス君の話にも応用できる。でもラジオの使い方がいまいちしっくりこなかった。

物語卵

ここにつまっているのは、孵化寸前の物語の卵たちで、私はこんな小説を初めて読んだ、と思う。頭の中にある断片たちが入れ替わり立ち替わり語りはじめ、追い越し追い越される。それは何か統合されるべき器のようなものを見つけたとき、改めて孵化するのだろう。

一九九一年、埋め立て地がお台場になる前

そしてその「統合」のイメージは、例えばこの短編で描かれる「夢」の並べ替えと同じようなものなのではないだろうか。夢の順に記憶されていることを、並べ替え、意味を見つけだす? 何か違うかもしれないけど、「物語卵」のすぐ後にこの作品があるのはそういうことなんじゃないかと思ったりした。そして、でもその点を抜かして見ると、この作品は素晴らしく面白いSF(もしくは奇想)小説なんじゃないかと思う。

メロウ

面白かった。「頭が良すぎて、いっさいを理解するが、それを小学六年生の程度に合わせて解答することができない」子ども達の「戦争」の物語。面白かった。

僕たちは一つだ。僕たちははなから複数化して存在するが、ある瞬間、単数化している。p221

ここ読んで、これは古川日出男版『人間以上』なのかもと思った。これを長編で読んでみたいと切実に思う。面白いなぁ。