ところで

いくら私が手放しで絶賛しているからといっても、この先に生み出される作品の全てを愛せるだろうと確信しているわけではないし、同時にもし好きではない作品があったとしたって、その先に書かれるものも確実に好きでないとは限らない。
とはいえ評論をやっている人にとっては断定的な書き方というのは仕方ないのかもしれないし、私もそういった評論を楽しみに読んだりはするのだけど。

いしいしんじの作品は一冊しか読んだことがないが、以後、この人の小説は読む必要なしと判断した。その理由は福田和也が選評で書いているのと同じで、「技巧のたしかさ」「ゆるぎない世界の呈示」はあっても「読者を脅かすことのない『安全さ』」が「退屈」だからである。
【海難記】Wrecked on the sea-三島賞選評

これはプライヴェートな文章に近いのだろうけど、それでも「三島由紀夫賞」は作品に対して贈られる賞なのだから、作品名(『ボーの話』)も挙げずに(そして、もしかしたら読んだ「一冊」はそれではないかもしれないのに?)「なぜ読む必要が(自分にとって)ないか」の理由を他者の選評と重ねて書けてしまうというのは残念なことだ。仲俣暁生さんは音楽も本の好みも自分の好みとかなり通じるところがあるなぁと常々うれしく思っていたのだけど、当然ながらあわないものもあるんだなぁということを実感した。まあこの先はわからないですけど。【追記:しかし勝手な期待ですね】
でも、例えば、その「安全」さが読者を脅かすような物語、というのもありそうだから、ちょっと探してみようかな。あ、でもそれは現実の方にありそうだ。