シカゴ育ち/スチュアート・ダイベック

短編と掌編で構成された、一冊のスケッチブックのような小説。
ここにあるいくつかの掌編は、別の本に収録されていた際に読んだことがあったのだけど、一冊の本として読むと、まるで印象が違う。様々なタッチで、色で、様々な表情が描かれているけれど、そのどれもがシカゴという街の姿を描いたものであるという点で繋がり、共鳴しているかのようだ。
ここでは風景も思いも全て映像のように克明に描き出されている。そして私は、その「眼」こそが作者の素晴らしさなのだと思う。彼の眼を通過することによって、時間も場所も混沌の中で一枚の絵となり、そこには生き物のような街があらわれている。
シカゴ。中学生の頃に一度、日程調整だかで一泊だけしたことがある。特に予定もなかったので、何もないビル街を歩いて、地下食堂でタコスを食べた。そしてたぶん翌朝にはバスで空港へ向かった。工場ばかりの街だなと思ったのを覚えている。
あの街のどこかに、これらの風景もあったのだろう。そしてタコスを食べるかわりに、美術館へ行き、ホッパーの『夜ふかしをするひとたち』の絵の前で足を止めることもできたのかもしれない、などと思う。

カウンターに、三人の客が座っている。彼らは何かを待っているように見える。何かがはじまるのをではなく、終わるのを。そして僕にはわかっていた。目を開けたら、何の違和感もなく、僕もそこで待っているだろうと。「夜鷹:時間つぶしp122」

あるいは通り過ぎて聞く車窓の恋人たちに手を振り、教会をめぐり、暑さに文句をいい、通気口から聞こえてくるピアノの音に耳をすましている。街はすべての登場人物を飲み込んで、物語の中に包み込む膜のようなものなのかもしれない。何の違和感もなく。

訳者の柴田元幸さんが「いままで訳した本のなかでいちばん好きな本を選ぶとしたら、この『シカゴ育ち』だと思う」と、そう言ってしまうのもわかるような気がする、とても魅力的な作品集だった。
ナイトホークスについて、あまり関係のない話 → id:ichinics:20050310:p1