嫌われ松子の一生/山田宗樹

映画を見た後の居心地のわるさと、監督が「悲惨すぎて笑ってしまった」という原作はどんなものだったのだろうというのが気になって、読んでみることにした。

嫌われ松子の一生

嫌われ松子の一生

映画版は「笑える」ことを期待して行って笑えなかったのだけど、小説版のほうは、覚悟していたほど、悲惨な話ではなかったように感じた。映画での松子は第三者の視点から描かれていたことから、松子が運命に翻弄されるお人形のように見えたりもしたのだけれど、小説版は松子の一人称で語られる部分が多いことから、彼女が何を考え、行動していたのかが多少なりともわかるところが、読者にとっての救いだったのだと思う。

物語では川尻松子の殺人事件をきっかけに、彼女の甥、川尻笙が彼女の人生を追う現代のパートと、松子の回想が交互に綴らる。
彼女の転落の顛末については、映画版ともそれほど違わない。しかし、印象は全く違うのだった。
物語の核となる部分を、映画版では父親との関係に纏めている。しかしだからこそ、松子にとってかつての教え子であり最後の恋人となる、龍洋一との関係に重みがなくなってしまっているのだと思う。

「龍くんは、自分が何を言っているのか、わかっていない。あなた、先生の命を俺にくれって言ってるのよ。女に求愛するって、そういうことなのよ」p197

龍と再会し、ずっと好きだったと告白された後の松子の台詞に、松子の愛の形が凝縮されているような気がした。そして龍に意見し、殴られる場面。ここでの動機についても映画では語られないのだけど、裏切られたと感じ、殴られてもなお松子はこうつぶやく。

彼は約束してくれた。ずっといっしょにいると。わたしを愛してくれると。なにを迷う必要がある? 殺されてもいい。彼を信じて、ついていこう。それ以外の生き方は、わたしにはもう、残されていないのだ。p224

異性に対する思い込みと盲目こそが、美しく賢い女性であったはずの松子の転落の要因となるのだけれど、それはきちんと報われる可能性もあったのだ。でも松子は一途すぎた。信じすぎた。そして裏切られる。彼女にももちろん非はあるのだけど、彼女の不幸には、その運の悪さが大きく作用していると思う。つまり、転落は誰にだって起こりうるということだ。もちろん私にも。明日はいつだって未定だ。

でも、この小説は松子に感情移入することを主題としたものではないように思う。
冒頭で、彼女は殺されている。そして松子という伯母がいたということなどこれまで知らずにいた甥が、彼女の人生をたどる。ここが重要だったのだ感じた。笙は物語の終盤で、自分はまだ松子が最初に躓いた年齢にも達していない、と気付く。そして恋人の明日香にこう話す。

うん……何て言ったらいいのかな、ここにいる明日香は、生まれてから今までの、いろんな人との関わりや経験の積み重ねの上に、存在しているんだなって……俺の言ってること、わかる?」p332

松子にとって、ではなく、笙がこの言葉にたどり着くこと。「軽い気持ちで、からかってやろうと思って」殺されてしまった被害者の人生。それがこの物語の主題だったのではないかと思う。誰かについて考える。それは自分自身について考えることに似ている。