あの公園で

真っ暗なライブ会場の中「緑の葉っぱに差し込む、夕暮れの赤い色だけを思い出していた」という言葉を聞いて私が思い出したのは、あの町の、図書館の隣にあった、猫の額くらいの、という表現が好んで使われそうな小さな公園のことだった。入り口以外の三方向を図書館、民家、大木に囲まれているので慢性的に日当たりが悪く、そのせいかいつ見てもだれもいない。ひっそりと色あせていく赤いすべり台と青いペンキが剥げてまだらになったベンチとが不機嫌そうに顔をつきあわせている光景は「ファーストキスは公園で」なんて漫画によく出てきそうなシチュエーションでもあり、そのちょっとした背徳感を覚える薄暗さがよけいに、人を/とくに親子連れを、遠ざけているのかもしれないなんて当時中学生だった私は思った。生意気にも。
しかし私がその公園を思い出す時、真っ先に浮かぶ残像は、夏の西陽が丁度その大木から差し込んだときに見せる、あの模様のことだ。

その公園は私の通っていた中学/高校の最寄り駅から少し歩いたところにあり、当時図書館に通うことを趣味にしていた私は、その隣の図書館もまた愛用していた。確か中学三年生の夏だったと思う。夏休みに入る前に返却しそびれた本を持って、一人でその図書館へ行った。
クーラーで涼みながら、つい雑誌などを読みふけっていると、いつのまにか夕刻になってしまった。慌てて荷物をまとめて図書館を出る。夏休みのうきうきした足取りで、でも宿題がなぁ、なんてちっぽけな悩みを抱えて、足を踏み出して、すぐに気がつく。あれは図書館の入り口にまで届くほどの大木だったのだ。
陰影だけでなく夏の濃い緑色がそのまま広がったような模様を辿ってそれを見上げる。触れる私の足や腕までにしみ込みそうな濃い影。ああそうか、この大木は図書館より民家より公園より、昔からここにいたんだなぁ、なんてことを考え、私はひどく充実した気持ちになった。
が、そんなことはすぐに遠くに行ってしまった。何しろあの頃の私には新しく知るべきことがいくらでもあったし、思い返すべきことは少なかったのだ。
そして夏休みあけに、また本を借りに図書館へ行った。何も気付かずに通りすぎて、図書館へ入り、出て、ようやく気付いた。公園が明るい。なぜなら大木がなくなっているからで、その場所にはアパートが建設中だった。空色に塗り直されたベンチには、カップルが腰掛けている。その光景は、とても健康的だった。

その時に焼き直されたセンチメンタルな/薄暗い公園の残像を思い返しながら「ロックトランスフォームド状態におけるフラッシュバック現象」を聴き、私はいつからこんなに「思い出す」ようになったのだろうと考えていた。