自問自答

言葉にならない感情を、考えることをしたいと思う。
それは問いを発することでもあり、問いに答えることでもあり、つまり、ほとんどの場合が自問自答だ。私はこう思う。なんでだろう。その繰り返しなんじゃないのか。どこかからやってきた「答え」があったら、まずは「なんで」と訊いて/考えてみたい。なんでなんでなんで? なんでなんでって訊きたいんだろう。
でもそれはほとんど自分の中で交わされる「なんで」だ。人の言うことに対して「なんで?」と思うこともあるけれど、別にその人の考えを変えたいわけではなくて、私はこう思う、を、いつも用意していたい。でも自分の中だけだと、どうしても見えない部分もあるから、人と話をして、新しい角度からの「なんで」のきっかけをもらえるのは、ありがたい/うれしい、と思うし(もちろん興味ないこともあるけど)、それに答えるための言葉が自分にないなぁと痛感して愕然とすることもある。
きっと、結論するのが目的じゃないんだろうな、と思う。でもいつかは、自分の中に答えらしきものが見つかるときがくるかもしれない。でも、それはそこまで考えた過程こそが考えの輪郭なのだろう。だから、それは自分にとっての答えでしかなくて、それで十分なのだ。
社会のルールと、自分の問いへの答えを探すことは別物なんだから。