停電/名簿

昨日の大停電*1、とは直接関係がないのだけど、人が集まっているところでは、パニックが起きやすい。それが起きないだろうという前提のもとで世の中は進んでいても、可能性はいつでもそこにあるわけで、フェスティバル会場なんてところでも、容易にそれは起こりうるのだという恐さがある。対策というのは結局、起こった後のことを考えることしかできないんだなと思う。

あと今日のニュース。名簿を祀る、ということで何らかの宗教的効力が発生すると信じている人というのは今、どのくらいいるんだろう。たぶん、そこに何か意図が、仕組まれた思惑が、現実的利害が、発生していると考えるからこそ、それは問題として扱われているのだけど、数十年前にはもっとちゃんと/もうちょっと効力があったのかもしれない。
そして、実は、その効力というものの方が、最終的には人を捉え続けるものなのかもしれない。現実的利害なんてものは、後から伴うものであり、そこにある何かの効力が信じられた瞬間に、人は動かされる側になる。それは別に宗教の話だけじゃない。というか宗教もそれいがいの私が想定しているものも、きっとその何かは同じなんだろう。
ただ、それが良いとされるか悪いとされるか、という部分については、現実的な利害やら何やらを基準に語ることしかできないのだけれど(たぶん、とりあえず日本では)、重要なのは、その効力の方向を、より良い方向に、向けていくことなのだろう。ではその「より良さ」とは何か。考えなくちゃいけないのはそれだよね、というところで、振り出しに戻る。