マリ&フィフィの虐殺ソングブック

「俺が好きなのは世の中に必要とされないような音楽」と言っていた彼の作る曲は、ひたすら展開や意味のようなものから遠ざかろうとしているようで、エアコンもない真夏の部屋の中、アンプに繋がっていないギターをひとしきりかき鳴らした後に発するおきまりの「クーッ」というビールのCMみたいなその声が私は嫌いだった。私が好きなのは本を読むことだった。「文字の少ない本ならば好き」と彼は言ったが、その答えも私をいらだたせた。そんな彼と、なぜ一緒に書店へ行くことになったのかは忘れてしまったが「この本は素晴らしいよ」と誇らしげな顔をした彼の手にあったのがこの「マリ&フィフィの虐殺ソングブック」だったのは覚えている。それはきっと「ナチュラルボーンキラーズ」のような話なのだろうと、その時の私は思ったのだけれど、思い返してみれば、ナチュラルボーンキラーズのジュリエット・ルイスが理想の女性だと言っていたのは別の人だったし、この本は予想したようなマリ&フィフィの虐殺ソングブックではなかった。つまり私の予想は外れた。しかし、ここにあるのは夢の断片のような、断片の連鎖のような、連鎖の破たんのような、ひたすらに展開や意味のようなものから遠ざかろうとしているかのように読める物語で、彼の誇らしげな表情のわけを、なるほどと腑に落とすこともできるのだけれど、だからといってこの物語を私が理解できたわけではない。ただ私は、中原昌也の笑顔が好きなので、ほかの本も読んでみようと思った。