結論は遠のく

前に書いた文を読み直したりしてたら、言葉が遠回りしてややこしくてうんざりしたり、今の自分の感覚と違うこととか結構あってはずかしかったりで、苦々しく思ったりもしたけどすぐに持ち直した。

その「今の自分の感覚と違う」ことのひとつ。「なぜ自殺をしてはいけないのか」という文で、私は最後、「社会」に暮らしていない(無人島に1人で暮らしているとか)人に対して、何が言えるだろう、と書いた。
それ書いてから、もう1年以上経ってたことにもびっくりだけど、今考えてみると、無人島の例に限らず、そのような場面に遭遇したときに、私が何を語るかなんて重要じゃないんだと、思う。逆の場合で言えば、何を言われても、問題じゃないということ。
そういった場面でするべきこと、したいことがあるとしたら、それはむしろ「聴くこと」だったのかもしれない。もちろん(それで「もしかしてこれは、止めて欲しいのかもしれない」と思ったら話は別だし)そういう相手で、いられればの話だけど。

私に話せるのは、私についてだけだ。そんなの後からいくらでも考えればいいし、すでに毎日、勝手に話し続けてる。言葉が遠回りしてうんざり、とか、何言ってるの、はずかしー、とか、そういうのも含めて、つねに最新だけど、こうして1年間で感覚が変わるのも、聴いたり/読んだり、という影響によって出来上がっていて、そこに意味のようなものが、あると、思う。