空気が読めなかったのかもしれない

いい加減しつこいよー、と自分でも思うんだけど、「トゥモロー・ワールド」について、まだ考えている。私があの物語に違和感を感じた理由はある程度自覚できているつもりでいるのだけれど*1、それはもしかすると、「映画を楽しむ」ことにおいては、余計なこだわりなのかもしれない、と思ったのだ。映画をどう見ようと自由だ、とは思うけれど、自由に甘えるだけなのもつまらないし、気付けることがあるなら気付きたい。私は映画が好きなので、いちど自分の映画の見方、について、じっくり考えてみてもいいんじゃないか、と思って。

空気を読む自信がなくなった

きっかけは、いくつかの「トゥモロー・ワールド」関連エントリで知った「伊藤計劃:第弐位相」さんの文章でした。感想はこちらで(http://d.hatena.ne.jp/./Projectitoh/20061119)面白いし、かっこいい文章だ、と思った。そして、その後の「理由という名の病」というエントリでちょっと「映画の見方」ということについて、考えはじめることになった。

なのに「『原因不明』で子供が生まれなくなった」ときちんと説明している物語に、なんでその理由を説明せんのだと言う人がいる。ぼくはこれがとっても不思議でたまらない。
思うに、それはたぶん、「空気嫁」に近いフィクションの読解力による違いなんじゃないだろうか。件の映画で言えば、始まって15分あれば「ああ、これは原因究明型の物語ではないんだな」と無意識にわかるはずだし、そもそもそんな「理由が解明される」ことが機能的な効果を物語に付け加えるような種類のフィクションではないことがわかるだろう。フィクションにはいろいろなタイプの物語があり、それは作り手の志すものによって異なってくる。『空気が読める』人はそれを意識することなく理解して、物語に乗ることができる。
http://d.hatena.ne.jp/./Projectitoh/20061127#p1

この「空気が読める」力は、映画だけでなく、フィクションを楽しむ上において、大切な能力だと思う。
例えばミステリーを読むときは、事件が解決されるものだと思って読んでいるけれど、「事件が解決しなくても面白いミステリー」というのもある。しかし、それはその「空気」を逆手にとったものだったり、事件の解決以外に主題がある、という「空気」がある物語であるはずだ。(それはミステリーじゃない、という論もあるだろうけど)
ということを、知っているつもりではいたのだけど、私が「トゥモロー・ワールド」について感じた違和感は、「子供が生まれなくなった理由」が説明されなかったことについてではないものの(というかこのエントリを読むまでそんなことは考えてもみなかった)、気持ちの構造的には近いものなのかもしれない、と思ってちょっと自信がなくなった。

物語の焦点

例えば、多くの人が、物語の中でなら、殺人犯にだって感情移入したり惹かれたりできる(もちろんそれは現実にも可能なことだけれど)。しかし、それは、登場人物の考え方、価値観のようなものを、見る人それぞれに理解できたうえでのことだろう。感情移入できなくたって、映画を見終わった後に、登場人物の思考の残滓が体に残っているような感覚になる映画を、私は、面白いと思う。
人物よりも、状況に惹かれる(重点をおいて描かれている)物語というのもある。例えばファンタジーでの「魔法」や「世界」は、それがどんなものなのか想像できないままでは映画を楽しめない気がする。だから、その事象がどういうものであるかを理解する、ということが、必要な気がする。現実にはシンプルに世の中の構造を見通せることなんてないかもしれないけれど、フィクションには、「何か知らんけどこうなった」という物語だったら、「何か知らんけどそうなった」という説明を、欲しているように思う。
そして、このふたつは「状況の中にいる登場人物」と「登場人物のいる状況」という言い方をすることもできる。物語と状況の距離といってもいい。焦点をあわせるべきなのは、人物か状況かパンフォーカスなのか。
トゥモロー・ワールド」という映画をみるにあたって、私が読めてなかったのはそこんとこな気がする。

トゥモロー・ワールドについて

私が映画をみて引っかかったところをもう一度整理してみる。
トゥモロー・ワールド」の世界において、「子どもが生まれなくなった」という事象は、「世の中にとって悲しむべきことである」のだろうなと思って私は映画を見ていた。そこの前提はOKなんだろうか。たぶんOKだと思う。
それは人為的にそうなったんではなくて、「何か知らんけどそうなった」んだとと思う。そこもたぶんOK。
そして、唯一秩序を保っているとされるイギリスは、それでもテロが頻繁に起こり、国境沿いには入国を求める移民が群れを成している。入国できたと思ったら捕まり、牢獄に入れられる。主人公もかつて反政府組織にいたという。反政府組織の求めていることは何なのか。たぶん移民についてだ。ここが自信ない。でも、たぶんそうだった。でもそれが、なぜなのか、「子どもが生まれない」という状況とどうつながるのか、わからなかった。
政府が「敵」だとして、しかし政府として生きている人にだって子どもは生まれないわけで、「子どもが生まれないという状況」は、全ての人にとって共通の事柄であるはずだ。だとしたら、対立すべきはその状況に対してなはずで、なぜ人々が対立するんだろうと感じ、物語の中で描かれる社会というものを、想像できなくなってしまった。
つまり私は、映画の中で描かれる事柄には「関連性があるはずだ」と無意識に判断し、「対立」の理由を探してしまっていたんだと思う。

気づいたこと

しかし、改めて映画を思い返し、いろんな人の感想を読んでいるうちに、それは関連づけて考える必要のない状況だったのかもしれないと思えてきた。子どもが生まれないということで、いろんな社会秩序が崩壊した。それによってイギリスに移民が大量に押し寄せ、政府はそれを取り締まり、人権派の人々がテロを起こす/もしくはテロを起こすことで絶望的な状況から目をそらしている。…あれはそういうことだったのかもしれない。
それを映画を見ている間に理解できなかった理由のひとつは、私が英語得意じゃないということにあるかもしれない。「空中キャンプ」さんの感想(http://d.hatena.ne.jp/./zoot32/20061123)の中に、「あらゆるところに政府のメッセージが掲げられており」と書いてあったけども、それにはほとんど(乗り物の中で見た映像以外には)気付かなかった。だから、そういうところで説明されていた「政府」についての情報は、すっぽり抜けていて、もの足りなさを感じたのかもしれない。
でも、そこが抜けていたということだけで、映画に入り込めず立ち止まってしまうなんてことはないだろう。

状況ばかりを見ていた

やはり「理由」を探すこと、だ。それを探しはじめると、物語から心が離れてしまう。
「子どもが生まれなくなった」ということの理由を気にしている人の感想を、私は読んでいないのだけど、その中には「なんか知らないけど、魔法が使えなくなりました」→「悪者をやっつけて、魔法が復活しました」というような構図を期待していた人もいたんじゃないだろうか。(フィッシュが科学者集団とかだったら、私もそう誤解したかもしれない)
私が対立の理由をあきらめられなかった理由は、映画を見ながら「子どもが生まれなくなった世界」という状況にもし自分がいたとしたら、ということを考えていたからだと思う。ナルニア国においての善と悪を知りたいというのと同じだ。そこでの倫理はどんな感じですか? ってのは知っておきたい。登場人物と社会との距離を伺うために、でもある。
でも、状況を知るには上記の「政府のメッセージ」があれば十分だったのかもしれない。そして何より、この映画は「状況」を描くというよりは、「ただあってしまっている状況にいる主人公」を描くものだったんじゃないか。

人物/状況

冒頭のシーン。最も若い「人間」が死んだということで、その場にいるすべてのひとが涙している。ただ主人公だけが、その状況に対し、ちょっとうんざりした顔をしていて、私は彼に感情移入できるだろうと思った。そしてだんだんと、そういう考え方の人間が、彼以外にほとんど見当たらないというアンバランスな社会の理由も気になってきた。
しかし今思い返してみると、物語は対立する社会状況にではなく、もっと個人的なことだったのだろうと思う。だとしたら、社会状況は「ただある」だけでかまわない。
カメラはずっと主人公を追っていた。
だから私は「一人称の、主人公の目から見た物語」のような気がしていた。しかし、あれは主人公の背後を追う、ドキュメンタリーとしてのカメラだったのだろう。そう考えれば、あの長回しの中でのレンズの存在にも、納得がいく。

まとめ

私は、この映画の空気が読めなかったんだと思う。それはショックだ。みんなが面白いっていってるものを、面白いと思えないってだけなら別にいいんだけど*2、そもそもの前提みたいなものを理解できてなかったんだとしたら、それは知っておきたい。
納得はいったような気がする。もちろん、これが正しい見方かどうかはわからないし、正解なんてあるのかもわからないけど、ちょっとすっきりした。
ただ、私は「子供が産まれない」という絶望的な状況に人類が陥ったとしても、社会はあそこまで崩壊しないと思うよ。なんていうか、ほとんどの人類は(特に多数派は)愚かですねー、ということが、大人(政治家/金/権力)は汚い…とかいうことと同じような勢いで前提として語られることって多いような気がするんだけど、そこはもうちょっと疑っていきたい。

*1:http://d.hatena.ne.jp/ichinics/20061127/p1

*2:もちろん、尊敬する人、好きな人、信頼してる人のおすすめするものが楽しめたらそれにこしたことはないけど