ハーツ&マインズ+ザ☆ライトスタッフ/いましろたかし

コミックビームやコミックCUEに掲載された、比較的最近の作品しか読んだことがなかったのですが、「初期のいましろたかし」をなんとなく買って読んだら、すごく面白くてびっくりした。
BOXや単行本中に著名人の推薦文がこれでもかと載っていて、そういうのってちょっと身構えてしまうものだけど、読みはじめたらまったく気にならない、というかそれだけ思い入れるのも素直に納得できてしまう、賛辞の嵐にもさざ波すらたたないオリジナリティがあった。隙がない。あとがきに「僕は名誉も欲しいので、オリジナリティのある漫画を描きたかった。/初期作品には、そういう気持ちが強く出ていると思います」と書かれていたけれど、それを紙の上に実現できるというだけですごいし、大ヒットするタイプじゃないかもしれないけど、名作として定番になる魅力があるのに、なぜこれが今まで絶版だったのか、読みながら不思議で仕方なかった。そのことについては、あとがきで狩撫麻礼が「ここにはディズニーランドもSMAPもないからだ」と書いているけれど、「残る」漫画はそれを持ったものであるわけでもない。きっとタイミングの問題だったのだろう。
「ハーツ&マインズ」と「ザ☆ライトスタッフ」はどちらも短編の連作で、複数の登場人物が繰り返し登場する構成になっている。根っからの善人なのにうまくいかない男、一生懸命さが空回りする男、男らしさにこだわりすぎたり、自己嫌悪したり、「なんでだ!」とのたうちまわったり。
それを1コマであらわしているのが、トイレで「死にてぇよぉ」と唸っている男の部屋のドアには、ウサギが「OPEN!!」と書いた板を持ったファンシーな表札がかかっている、という第一話「モルタルパーティ」にでてくるくだりだと思う。そのウサギはその後も繰り返し画面にキーワードとして描かれ、そのたびに胸がもやもやする。
そしてその部屋の主、山下のところに弟が訪ねてくる「ジャスティス2」がすごい。

「のん気なこと言ってんじゃねえくそったれ! ぶっ殺すぞ手前ッ」

ここで泣かせておいて、次の『84’男おいどん』は「そのうち面白いことあるって」「あって欲しいですよ」とまとめてるのもいい。何だこの絶妙さ。
例えば、つげ義春の「無能の人」が、一種のファンタジーとして読まれている(ように感じる)のは、あの彼岸な感触と、たぶん今ではもう、その時代背景を思い描きにくいということにあるのかもしれない。しかし、いましろたかしがこれほどリアルに読めるのは、かろうじで体験した時代のせいだけでなく、たぶんその笑いにある。確かに、身につまされる話も多いんだけど、それでもちゃんと笑えるのは、登場人物がみんなそれぞれ必死だからだろう。そこに生であることを感じ、だから安心して感情移入して、泣いたり笑ったりできるのだ。

楽しくなくったって そうとも!
俺は平気だ!
「こんにちは」p392

といって筋トレした直後に布団に突っ伏して泣きだす素直さには、滑稽さだけでない、自らを省みざるをえない切実さがあって、こう、ぐっと、いう気分になる。