社会と世界って遠い

しかし、国策として女子に向かって「勉強しなくていいですよ」ということはありえない。
男の子たちが「性差別だ」と怒り狂うことは目に見えているからである。
「ぼくたちだって勉強なんかしたくないよ」と子供たちは言うであろう。
 内田樹の研究室:夢の少子化対策

内田樹の研究室」にはいつもひっかかるとこが多いので、そういうもんだと思ってるんだけど、今日読んだこれも、引用部はこのエントリの中心部ではないにしろ、本気かなぁ? と首をかしげてしまった。「女が本を読むなんて!」っていう台詞に出くわしたときのことを思い出す。ほんとにこのとおりなら、「働かなくても生きて行ける煉獄」はむしろ天国だろうな。
とはいえ私だって、働かなくて食うに困らないなら働かないかもしれない。けれど、勉強しなくていいよと言われても、知りたいことは知りたい。そして知るためにするのが勉強ならば、それもやぶさかでない。「子どもだから」ってそんなのない、とは思わない。むしろ「やっちゃダメ」といわれたらやりたくなるのが子どもじゃないのか。

要するに私は、男女という言葉に、身体の構造上の違いとしての「性差」以外の意味を付け加えてるのがよくわかんないっていうか、それぞれ個であると同時に、意思の疎通が(スムーズではないにしろ)とれるんであれば、人種が違っても宗教が違っても年齢が違っても、ともかくはフラットなんではないのかと思っている。なので、それ以外の与えられたカテゴリや理想を身に付けるかどうかは自分次第だ、と、なんでも自己決定にもってくのは違うよなと思ったりもするし、社会はそのようにできてないかもしれないけれど。