グアンタナモ 僕達が見た真実

ichinics2007-02-09
監督:マイケル・ウィンターボトム/マット・ホワイトクロス

2001年9月、無実であるにもかかわらず、テロリストとして米軍に拘束され、その後、二年間も米軍基地グアンタナモにて収容所生活を強いられることになったパキスタン系イギリス人の青年、ローヘル、アシフ、シャフィクの三人。この映画は、彼らへのインタビュー映像、実際のニュース映像を交えて描かれる。
物語の主人公は、ファッションに興味があって、ラップが好きで、適当だったり友達思いのところがあったりするごく普通の、つまり、決して「理解できない」ような悪人ではない青年たちだ。
お見合いのためにパキスタンへ帰国し、結婚することにしたアシフに招かれ、ローヘル、シャフィク、そしてムニールがパキスタンに集う。そしてそこで隣国アフガニスタンの状況を耳にし、自分達の目で見てみようと思い立つ。そして、そこで「戦争」に巻き込まれることになる。
タリバンだろ?」「兵士だろ?」「おまえの友人が吐いたぞ」なんて台詞をひたすら浴びせられ続けるが、そんなわけない。その尋問の不毛さ、理不尽さにも腹が立ったけれど、そこにいる兵士もまた末端なのだと思うと、怒りの矛先をどこに向ければいいんだかわからなくなる。
しかし、インタビューを受けている実際のアシフ、ローヘル、シャフィクの三人の「今」には、お互いを信頼し、その過酷な状況を乗り切ったのだという自負がある。そして映画は常に、三人を誇張せず、地に足のついたリアルな存在として描いていた。その点で、「グアンタナモ」は、何かを告発するものであるというよりも、彼等の成長と関係を描き、その力強さを描いたものだったと思うし、そこに私は好感をもった。

それでも、私は映画を見ている間中、「危険かもしれない存在」を取り除くことができない可能性よりも、「罪のない人」から自由を奪ってしまうことの方が、ずっと恐ろしいことだ、と考えていた。「疑わしきは罰せず」ってやっぱりすごく大事なんじゃないか。
世界では悲惨なことがたくさんおこっているのに、テレビは、メディアは信用できなくて、という風潮が今あるような気がするけれど、世界で悲惨なことがたくさんおこっているような気がするのは、それだけ「一人の人間の命」やQOLが重くとらえられるようになったからで、それにはメディアが少しは役立っているんじゃないのかな? 楽観的すぎる? でも、きっと百年前には、でもこの映画にあったような断絶がいたるところにあって、しかもそれを知ることもできずにいたんだろうなと思う。
じゃあ、それを知ることができるようになってどうするのか?
個人であること、個人が幸せを求めること、それが等しく保証される世界を目指すというところを、願うことくらいしかできないとしても、何もできないからといって無関心であるというのは、違うよなと思う。