ありふれた

フリクリ」と「凹村戦争」のこと書いてて、なんか頭の奥の方にひっかかってるんだよなー、 と思ってgoogleにきいてみたら、ここだった(http://ugnews.net/neatsorg/log/2004_04_a.html)。そっか、この文が頭にあったんだな、というか、最初に「凹沢戦争」読んだとき、いまいちピンとこなかった私は、この文読んで、あーそうだ、フリクリ見てないなぁ見たいなぁ、なんて思って、ブラウザ閉じて電気消して眠ってゴハン食べて仕事いって忘れてしまったんだった。ということを思い出しながら、ページの上を見て、そうそう、perfumeを知ったのもここだったよね、って、こっちはちゃんと覚えてて、CD探したりしたんだってことも思い出した。その差はなにって訊いてくれるなら、じつは「フリクリ」は弟のPCに入ってたのでいつでも見れると思って安心してて、でもPCでアニメ見るのなんかなーだったので、なかなか手を付けなかったのって、言い訳するけど、そんなのもう過ぎたこと。惜しいけど。……で、こういうケースの場合は、とにかくバット振ったほうがいいの法則あてはまるんだって思った。私はほんとに腰が重い。し、できるだけ頭の中はシンプルに保ちたいなやっぱりと考えているので、処理仕切るのが夢です。というのは脱線。
ともかく、久しぶりに読んだら(まあほとんどローカル保存してあるので、久しぶりでもないんだけど!)なんだか無性に、ああそうだ、いらだちは必要だよなとしみじみ思ったりして、でもきっとしみじみしてる時点で私の反応は鈍く、最悪なことにそれはほとんど常にで、それでも、私はこの文章にあこがれていた/いるなぁと思って…ハッとした。そんなふうに私の好きは好きがこじれるといつも憧れに集約される。あーあ。かっこいーな。