東京

新しい建物が建つって、昔はとても、わくわくすることだった。
隣の家、川向こうにできる団地、電車に乗らないと行けないところにできる、新しいデパート。
新社屋には屋上庭園を備えており、晴れた日には市民に解放。
この町でいちばんおおきい、何か。
新しい建物がたちますよーって、それだけで、新たな町が生まれるみたいな期待があった。

でも、いつからか、新しい建物ができるってことは、そこにある建物がなくなることでもあるようになった。毎日歩くあの道沿いだけで、取り壊され、作られる過程を何度見てきたことか。
いつもガチャガチャやった肉屋は動物病院後今更地で、ジャンプの早売りしてた本屋はマンション、畑もマンション、あの高架下の文房具屋は、どうしたんだっけと思ったら道が広くなってた。
そうやって、私の見てきた東京だけでも、もうずいぶん形がかわったし、その過程でいなくなった建物の残滓が折り重なって、町に対する(主観的な)印象が濁ってしまったと思うこともある。
私が年をとったのか、東京が年をとったのか。
たぶんその両方で、それは悪いことではないんだけど。

オリンピックをやりたい知事は、新陳代謝がうまくいかないなら、一度リセットしようぜ、と言ってきたひと、という印象なんだけど、東京でオリンピックやるって、いったいどんだけの建物をつぶす予定なんだろうか。それは、建設作業だけでなくて、波及効果も含めて、で。
目的はオリンピックというよりは、再開発なんだろう。
だって、いま、東京に住んでいる人の中で、「東京でオリンピックやってほしい!」って思ってる人、あまりいないような気がする。し、個人的にも、オリンピックは、遠くにありて思うもの、でいいやと思う。想像しただけで、たぶん絶対、めんどう。
でも一方で、この、補填に補填を重ねてきたような街は、もろいだろうという危機感も理解できて、なんともなぁ、という気分だ。
人柄としての好き嫌いは、ハッキリしてるけど。