私に関係のない前世

少し前、大学時代の友人たちと飲んでいた時に、今をときめくあの(あの人はなんなのだろうか、カテゴリはわからないけれど)スピリチャルでふくよかなおじさんのことになった。
ここで言うスピリチャルとは、鏡の法則id:ichinics:20060705:p1)みたいなものだ。そして私は、それを法則とか呼んで「あるもの」として共有できない、と感じている。だからその話も、話半分に聞いていたのだけど、信頼する友人たちが彼のことをあまりに絶賛するので、少々面食らって少し反論した。本気じゃないよね? という感じで。
しかし、本気のようだった。そして「あの人はそんなのとは違う」と口を揃えて言う。
私はその人が出てる番組を見たことはないので詳しいことはわからないけれど(そしてこの先も見ないと思うので設定は又聞きで間違った部分があるかもしれません)、彼は前世が見える人らしい。うーん。まずその設定がファンタジーだと思うけど、仮に前世というものがあるとして、それが見える人がいる、というのは別にあってもいい(私が信じるかどうかは別の話)。それでも私は、前世が何かとかに興味をもつことがあっても、その人に何か言われたくないと思う。何か問題を抱えていても、そんな初対面の人にあれこれ言われて、前世がこうだからどうだ、と言われて、今の自分の何かが解決するとは思えない。そう言ったら「赦されたいんだよ」と返された。誰に? 何かにか。
ともかく「赦す」という言葉を聞いて、彼女たちの彼に対する信頼は、宗教と似たものなのかもしれない、と思った。
しかし、私がその人を(知りもしないのに)信じる人たちが本気であることに驚くのは、それが宗教的だからではないと思う。やはり、ファンタジーを根拠に「私」の今についてあれこれ解明できるということが、あってほしくないという感じ、だろうか。それは「自由意志」がないのであなたの人生はすべて計算できます。結果を見ますか? と言われて、見たからって、今の私が何をどう感じるか体験できないという感じに近いかもしれない。
例えば、外の人からみたら「ただの石ころ」に過ぎないものを大切にしているとしたら、それはその「ただの石ころ」が特別であるとした私の物語があるはずだ。「あなたに大切なのはこれです」と与えられて本気でありがたがるなんてできない。
生きてれば、不思議なこと、説明のつかないことはいろいろあると思う。そしてそれを解明していくことは楽しい、と私は思うし、それでも説明のつかないこと、というのに出会うのは、わくわくすることだとも思う。ただ、そこに理由を見つけるのは、私の物語だ。
私を知らない人に、説明されることで「赦された」と思える感覚がわかんない。そう言ったら今度は「脳が男なんだよ」と返された。脳が、男。それってどういう…とか突っ込むといい加減におこられそうなのでやめた。
それでも、スピリチャルとかファンタジーとかに対抗するのって、本当に難しいなと思った。あってもいいと思うし、そういう「お話」は嫌いじゃない。ただ、何かを根拠にするときは、それが根拠として信頼できるものかどうか、という視点は持っているべきだと思うし、そこんとこ手放しではいられない。それが、なぜかって聞かれても、うまく説明できないんだけど。