めぐりあう時間たち

監督:スティーヴン・ダルドリー
小説を読み、これをどうやって映像化しているのだろう、風景 だけでなく、人物の纏う空気のようなものを、具現化することはできるのだろうかと興味を覚え、DVDを借りてみた。

めぐりあう時間たち [DVD]

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私の感じた結論から言うと、この映画は、とても丁寧に小説を映像化した作品では あったけれど、小説にしかできないこと、映画にしかできないこと、ということを思う作品でもあった。
この物語のように、一人称で語られる物語は、映像化によって客観性を持つことで、観客と主人公との間に壁を作る。言葉をなぞり、主人公と声を重ね、その思考を追う楽しみは、言葉のみでつながるからこそ得られるカタルシスなのだろう。同一化とは少し違うけれど、そこには共有される言葉がある。なぜなら、私は私の言葉としてそれを読むからだ。とりあえずのスタンスだとしても。
しかし映画は開かれている。それは捕らえどころがなく、だからこそ自由に、より多くを見ることができる。女優たちの表情の中に、かつて読んだ言葉を見ることもできるのだけど(そして、それはとても説得力がある)この物語を読んだ時に、確かに私の一部であったはずの女性たちは、それぞれ他者として「外側」にいて、それが私には少しばかり悲しかった。でもそれもどうでもいいことだ。
美しい人たちだった。
ただ、ラストシーンをクラリッサではなくヴァージニアで終わらせたは、物語としてではなく、映像として(美しく)終わらせることを監督が選んだからなのではないかと思い、少し納得がいかなかった。