住める町

loomerさんの日記に『初めて「あ、ここ住める」と思ったのが博多でした』と書かれているのを読んで、私が「住める」と思ったとこ、どこかなぁということを、ぼんやり考えていた。
そういえば、旅行をするときって、いつも「ここに住めるかどうか」ということを考えているような気がする。幼稚園以降は東京から出たことがないのだけど、ここ以外の場所に住んでみたい気持ちはずっとあって、ここは好きだけど、ここを外から見てみたいとも思うし、「移動」に慣れている人へのあこがれみたいなものもある。

海外だったら、インドネシアはかなり良かった。親戚が住んでいたし(安心)、気候も、人も、違和感がない。でも言葉が難しいし、どうやって食っていくのかというとこが問題。
国内だと、去年の夏に行った京都は、自分でもびっくりするくらいグっときた。あの、道の先に山が見える感じには、その風景を思い描くだけでそわそわする、衝動、みたいなものがある。すごく好きだ。けど、京都出身の友達に「ぜったいなじめないって」みたいなことを言われ、日和った。憧れの沖縄は、島も含め、行くたびに住みたい! と思うけど、手に職がない自分は食べるのに困りそうだ。し、地域コミュニティというものに慣れていないのできっとやっていけない。
土地と人との結びつきや距離感は、たぶん育った環境に大きく左右される。そして、やっていけない、と思ってしまうのは、きっと自分が既に左右されちゃってるからなのだろう。
ほんとに幼い頃、外国に住んでたときの(でも日本語しか話せません)、あの心細い感じを思い出す。幾日も続く曇天と、頭上で交わされる馴染みのない言葉、手を繋いでいる親の言葉すら理解できない、すれ違う人にまじまじと顔を見られる毎日。ふてくされてた私にとって、あの頃は家族だけが「社会」だった。なーんて、実はほとんど覚えてないんだけど、それでも、遠くなればなるほどに、記憶の中のあの町は、とても魅力的だったりするから不思議。

話がそれた。
それにしても、いつか住みたい町のことを考えるのは、楽しくて、それは確実に、旅行にいく楽しみのひとつだよねぇ、と思います。ぜったい住みたくないけど好きな場所、というのもあるんだけど(香港とか)。