「ほとんど記憶のない女」/リディア・デイヴィス

ほとんど記憶のない女

ほとんど記憶のない女

ぜんぶで51の短編小説がおさめられたこの本を読みながら私が考えていたのは、はたして自分には本を読むことができるのだろうかということだった。そもそも文章を読むとはどういうことなのだろうか。文字になっていることをそのまま受け取るのが正しいのかその奥にあるものを見るのが本当なのか。私は鈍感になっていないか、それとも鈍感でいるべきなのか。
しかし読んでいるうちに、この本はそれでいいのだと、どこに思いがあるのか、手探りしながら読むものなのだと、思うことができて、それもまた正解なのかはわからないけれど、文章がめくれて内側に入り込むような感覚を楽しみながら本を読むことは自由だと思った。

そのころの私は四六時中考えてばかりいて、考えすぎる自分にうんざりしていた。他のこともしたが、それをしているあいだも考えていた。何かを感じても、感じながら自分か感じていることについて考えていた。自分が考えていることについて考え、なぜそれを考えるのかまで考えずにいられなかった。もしもカウボーイと結婚すれば、それで私の考えすぎが止まるような気がした。「大学教師」p20