腑抜けども、悲しみの愛を見せろ

ichinics2007-07-24
監督:吉田大八
本谷有希子さんの舞台作品(後に小説版もでた)の映画化。
ある山に囲まれた田舎の集落を舞台に、父と母の葬式に帰省してきた長女と、残された家族の物語。私は舞台は見てなくて、でも小説版だけ読んでいたので、どうしても初見の気持ちで見れなかったのですが、やはり舞台で、見てみたかったなと思った。
この物語の面白さは、なんといっても人物造形にあると思う。女優を目指して上京した、「澄伽」。姉をモデルにしたホラー漫画を描く妹「清深」。そして空気の読めない兄嫁「待子」。この三人の強烈な個性というかアクの強さというかうっとうしさがぶつかりあい、泥沼に転じていく様こそが見どころであるのだと思うのだけど、映画にはすこし、過剰さがもの足りないような気がした。
というのは、たぶん映画で見ていると、あるていど澄伽に感情移入、じゃなくて同情できてしまうからだと思う。
小説で読んでいたときには、ひたすら押さえつけられていた清深の逆襲がカタルシスに感じられたけれど、映画版では、澄伽が上京したのは清深のせいであることが強調されていたように感じた。「今まで他人の目なんて意識したことなかったのに!」という台詞も*1印象に残った。だからこそ、澄伽は自らを客観視できる存在としてとらえられるし、つまりある程度「マトモ」に見えてしまう。それは澄伽を演じたサトエリの、あの常人離れしたスタイルのせいもある、かもしれない。ああこの人はここでは、生きづらいだろうなというのが画面から見える。でも「仕方ない」は、この物語の速度を緩めるものではないだろうか。
それはそれでリアルな物語なのかもしれない。けれど、できることならもっと息のつまるような鬱屈としたやりとりの中で、和合姉妹を恐れ、待子の言動にはらはらして、ラスト事切れたかった。
映画版でとくに良い、と思ったのは清深が漫画を描くシーン。あそこを気持ちよさそうに描くことで、清深の業のようなものがよくみえたし、そりゃ面白いよな、描きたいよな、背徳感がさらにその気持ち良さを増幅させるよなって、納得してしまった。
そして三人の「女」の強烈さと、自己主張をほとんどしない、いまいち何を考えてるのかよくわからない兄や、わかりすぎてしまう萩原ら「男たち」の対称が、なんとなく腑に落ちる。

舞台、小説、映画と続いたことだし、つぎは小説の表紙を描いた山本直樹さんに漫画化してほしいな。はまりそう。

*1:もしかしたら小説版にもあったのかもしれないけれど