雨の日、居眠り

窓の外から聞こえる、雨の上を滑る車の音、には聞き覚えがあって、風のせいか少しあおられてこもったような、幾種類もの音が折り重なって、そこに混じるピ!というクラクションのアクセントに、視線が滑り、降りて行く場所を選ぶとき、そこはいまここの建物の下にある濃いグレーのアスファルトではなく、例えば高速道路のうえ、箱崎ジャンクションを見下ろすラジオの視線だったり、いつか行った、パリだかホーチミンだかの、あの石畳の揺れる視界だったり、誰かの家の窓から見下ろす、246の夜だったりする。そんなふうに、気分がいいときのイメージは、有る一定の高度を保ち、浮いたり、滑ったりするのだけど、しかし、ジジに似た人形を森に落としてしまったキキのように、ふとした拍子にからめとられると、路上でずぶぬれになって、水たまりのうえを滑るタイヤに驚いて、よれよれで、ずぶぬれで、わけもなく盆を投げ出して水たまりと混ぜてしまいたいとか思う。
そんなふうに浮き沈む視界っていうのは、例えばFFで飛行船にのって、降りる位置をなかなか決められない感じに似てる。降りてみたら、町まで遠かった。もう一度乗るか、それとも歩くか。
今は歩いて行きたいような気がする。この濃いグレーが、白い砂利道に続いて、その先のムッとするような緑かきわけて、海に出たら良いと思う。浜であったひとには、帽子をとって挨拶する。やあやあ。麦茶、のみますか?