長江哀歌

ichinics2007-08-24
監督:ジャ・ジャンクー

ベネチア国際映画祭金獅子賞グランプリを受賞したジャ・ジャンクー監督の新作。
長江・三峡ダム建設をモチーフに、二人の主人公を描いたこの映画はとても大きく、言葉を探そうとすると、はじめて中国にいったときに感じた、あの何もかも大きくてこころもとないという気持ちを思い出す。窓の外に広がるなにもない地平線と砂煙。山の上から見下ろす海のように太い河。しかし、画面に映る大河と人々の対比を見つめながら、やはりその場にある人々の混沌が像を結んでいく様こそが、大きな、流れなのだと感じる。
16年前に別れた妻を探しにきた男が、唯一の手がかりである住所がすでにダムに沈んでいることを知る、その冒頭からラストまでの間、とにかくすばらしく思えたのが画面だった。あの、アジア独特の乱雑な色と濃い影と砂煙。一枚の絵のような完璧な構図が、動くことによって流れる。
例えば、主人公のひとり、山西省からやってきたハン・サンミンが奉節にやってきたばかりの頃、妻をさがして歩きながら、その背後でコンクリートの壁が倒れる。その偶然のような場面が物語の重要なテーマであるという、演出のさりげなさ、巧みさには思わず興奮した。
それから、ジャ・ジャンクー監督独特の、絶妙な会話の間も、深く印象にのこった。この映画の出演者は、メインの登場人物数人をのぞいて、全てその土地に暮らす人々だという。たぶん、その空気感の違いがだんだんとうまっていく様も、映画の流れのひとつになっているのだろう。
人力で行う建物の解体や、住人の許可もなくきまる取り壊し作業、その日暮らしのように見えるけれど、携帯電話はある、この生活のアンバランスさも、人々のたくましさも繊細さも、景色への愛も金も、ただ生きるということに覆われる。
ほんとうに静かなのに、目のはなせない映画だった。そして、映画を見終わった後には、目に映るすべてのものが、意味をもって立ち上がってくるように思える。意味というのは、物語のようなもの。