まっすぐすすめない

ここから、そこまで、どのように進むかを先に考えて、その通り歩くことばかりを繰り返してるのがなんとなく息苦しく思えることもあれば、逆に、何も考えずにぼんやり歩いていたらいつの間にかよくわからない場所に出ていた、ということもあって、その感じはどこか、考えることに似ている。
ある一つのことを、いろんな方向から見ているときというのは、いくつかの考えでそのモチーフを支えながら眺め回すような感じでとても集中しているのだけど、そのモチーフ(というようなたいそうなものではないけど)を思い付くのはだいたいぼんやりとからっぽでいるときが多い。そして、シャボン玉が割れるときみたいな自然さで、ふいに現れるそれを、できればある一定の方向へ向けるということはしたくない。ある結論があって、そこに向かう道筋をみつけるというのもパズルみたいで楽しいけれど、それはいわば仕事のようなものであって、偶然の感覚に頼りたい、と思うときの、その偶然はつかもうとすると逃げる。
たぶん、日常のほとんどはある結論に向かう道筋にあるようにしか見えない。そして、いったりきたり、見えたり見えなかったりする、それを追いかけることも、つまり道筋を探そうとすることなんだと思う。
でも、もしかすると、道なんて探さなくてもそこにあるものなのかもなあ、ということを、今日ふいに思ったりした。目の前にあるものを、もっとちゃんと見てれば、行けるとこには行ける。そんな気分です。